
発売日: 2019年9月13日
ジャンル: オルタナティブ・ロック、ガレージ・ロック、サイケデリック・ロック
概要
『Beneath the Eyrie』は、ピクシーズが2019年に発表した通算7作目のスタジオ・アルバムである。
前作『Head Carrier』(2016)から3年ぶりにリリースされた本作は、再結成後のバンドがさらに成熟したダークで幻想的なサウンドを追求した作品となっている。
タイトルの「Eyrie(アイリー)」は「鷲の巣」を意味し、アルバムはその“巣の下”という神秘的なイメージを中心に構築されている。
その名の通り、楽曲には森や夜、死者、幻影といったモチーフが頻繁に登場し、ゴシック的なムードが全編を支配している。
プロデューサーは前作に続きトム・ダルゲティ。録音はアメリカ・ニューヨーク州北部の森に囲まれたドリームランド・スタジオで行われ、
自然に包まれた環境が楽曲に漂う湿度や静謐な質感を生み出した。
全体としては、80〜90年代のピクシーズが持っていた“ノイズと不条理”のエネルギーを内省的なストーリーテリングへと昇華しており、
再結成以降のピクシーズがついに一つの完成形に辿り着いたことを示している。
全曲レビュー
1曲目:In the Arms of Mrs. Mark of Cain
アルバムの幕開けを飾るミッドテンポのナンバー。
旧約聖書のカインとその妻を題材に、罪と贖いのテーマを象徴的に描く。
幻想的なギターのアルペジオと、静寂の中に潜む緊張感が印象的だ。
2曲目:On Graveyard Hill
リードシングルとして発表された代表曲。
轟音ギターと疾走感あるリズムが融合し、まさに現代版『Debaser』ともいえる勢いを持つ。
“On the graveyard hill, she’s calling out my name”という一節が、死と愛を結びつける本作の核心を象徴している。
3曲目:Catfish Kate
アメリカ南部の伝承を思わせる物語風の楽曲。
川に落ちて巨大ナマズと格闘する女性という奇妙なストーリーが展開され、ピクシーズらしいブラックユーモアと神話的要素が共存する。
パズ・レンチャンティンのコーラスが加わることで、幻想的な奥行きが生まれている。
4曲目:This Is My Fate
ブルースの影響を受けた重いリズムと、怪しげな雰囲気を漂わせる曲。
アルバムの中でも特にダークで、まるでカーニバルの裏側を歩くような歪んだ世界観を持つ。
5曲目:Ready for Love
哀愁漂うメロディと穏やかなテンポ。
“愛の準備はできているのか”という内省的なテーマが、これまでのピクシーズにはなかった成熟を感じさせる。
ブラック・フランシスの声が柔らかく響く。
6曲目:Silver Bullet
静かに進むバラード調の曲。
“銀の弾丸”というタイトルが象徴するように、運命や宿命といったテーマを寓話的に描く。
繊細なギターと深い残響が、夜の森のような音空間を作り出している。
7曲目:Long Rider
サーファーの友人を失った実体験をもとにした、エモーショナルな楽曲。
波に飲み込まれる瞬間を描写する歌詞が、生命の儚さと自然への畏怖を感じさせる。
疾走感の中に漂う哀しみが心を打つ。
8曲目:Los Surfers Muertos
スペイン語で「死んだサーファーたち」。
『Long Rider』の余韻を受け継ぐような続編的な位置づけの曲で、
アコースティックギターとハーモニーが海辺のレクイエムを思わせる。
パズ・レンチャンティンのボーカルが主役を務め、透明感と悲哀が同居している。
9曲目:St. Nazaire
最も激しいロック・ナンバー。
戦地を舞台にしたような緊迫感があり、爆発的なギターリフがバンドの原点を思い起こさせる。
アルバム全体の流れの中で、ひときわ荒々しいアクセントとなっている。
10曲目:Bird of Prey
中盤の静けさを取り戻すミステリアスな曲。
鷹のように見下ろす視点で語られる詩的な歌詞が、タイトルの“Eyrie(巣)”との関連を思わせる。
低音のグルーヴとドローン的なギターが不気味な美しさを醸し出す。
11曲目:Daniel Boone
幻想的なラストトラック。
アメリカの開拓者ダニエル・ブーンを題材にしながらも、
実際には“孤独な探求者”としての自己投影を感じさせる。
広がるギターと淡いボーカルが、夜明け前のような静かな終幕をもたらす。
総評
『Beneath the Eyrie』は、ピクシーズが“再結成後の完成形”を提示したアルバムである。
前作『Head Carrier』で確立した安定した構成力とメロディセンスを土台に、
よりダークで物語的な世界へと踏み込んだ。
サウンド面では、ノイズよりも空気感と深みを重視し、
まるでゴシック・フォークやサイケデリック・ロックのような陰影を描き出している。
トム・ダルゲティのプロダクションは極めて緻密で、低音から高音までの空間配置が繊細に計算されている。
また、パズ・レンチャンティンが正式メンバーとして完全に溶け込み、
彼女のボーカルが楽曲の感情表現に欠かせない存在となっている点も重要である。
特に「Los Surfers Muertos」は、ピクシーズ史上もっとも美しく儚い曲の一つと言える。
『Beneath the Eyrie』は、もはや過去のピクシーズを模倣するのではなく、
老成した詩人のように死、自然、神話を題材に深い叙情を紡ぐ作品である。
それは“老いたオルタナティブ・ロック”の理想形であり、
混沌の時代を生き抜いたバンドが手にした静かな覚悟の結晶なのだ。
おすすめアルバム
- Head Carrier / Pixies
再結成期の新たな出発点。『Beneath the Eyrie』へと繋がる前章。 - Doggerel / Pixies
2022年の次作。より落ち着いたテンポで叙情を深化させた。 - Surfer Rosa / Pixies
初期の粗削りな衝動を体感できる原点的作品。 - Doolittle / Pixies
バンド最大の傑作であり、混沌とメロディのバランスが頂点に達したアルバム。 - Ocean Rain / Echo & the Bunnymen
同様にゴシックな叙情を湛えた80年代の名盤。
歌詞の深読みと文化的背景
『Beneath the Eyrie』の歌詞には、アメリカ南部の民話やカトリック的象徴が多数散りばめられている。
カインの血統、死者の魂、自然との境界、そして愛の記憶。
それらはすべて“人間の罪と赦し”というテーマに結びつく。
ブラック・フランシスはインタビューで「このアルバムは“ゴシック・フェアリーテイル”なんだ」と語っており、
単なるホラーやダークファンタジーではなく、寓話としての深みを意識していることがわかる。
ピクシーズの音楽はもともと聖と俗、秩序と狂気のせめぎ合いを描いてきた。
『Beneath the Eyrie』ではそれがより静かで成熟した形に結実しており、
“老いてなお危うい”ピクシーズの現在地を象徴しているのだ。



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