イントロダクション
1980年代初頭、シンセサイザーの煌めきとダンディズムを携えて登場したABCは、ニュー・ロマンティックの流れを艶やかに彩った。
フロントマン、マーティン・フライの深みあるバリトンと、洒落たスーツ姿から放たれる洗練は、当時のUKチャートにスタイリッシュな風を吹き込んだのだ。
バンドの背景と歴史
シェフィールドのポストパンク・シーンから芽吹いた彼らは、最初はVice Versaというエレクトロ寄りユニットだった。
しかし1980年にマーティン・フライが加入すると、バンドはポップ志向へ舵を切り、バンド名をABCへ改称。
1982年、プロデューサーにトレヴァー・ホーンを迎えて作り上げたデビュー作『The Lexicon of Love』でいきなり全英1位を獲得し、その耽美な世界観で一躍脚光を浴びた。
続く『Beauty Stab』（1983）はギターを前面に出した骨太サウンドへ転身し賛否を呼ぶ。
『How to Be a… Zillionaire!』（1985）では漫画的なビジュアルと電脳ファンクを試み、MTV世代に新鮮な驚きを与えた。
90年代以降はメンバー脱退を経て、マーティンのソロ・プロジェクト的色合いを強めつつも、2016年には『The Lexicon of Love II』で原点回帰。
ストリングスとブラスが織りなすロマンティックな音像は、往年のファンのみならず若いリスナーにも新鮮に響いた。
音楽スタイルと影響
ABCの核にあるのは、ソウル・ミュージックへの深い憧憬である。
マーヴィン・ゲイやスタイリスティックスから受け継いだ甘美なメロディと弦楽アレンジを、当時最新のシンセとドラムマシンで磨き上げた。
そこに英国的知性とアイロニーが注ぎ込まれ、ロマンスと失恋の物語がシネマティックに立ち上がる。
サックス奏者スティーヴン・シンガーの艶やかなフレーズも、都会的ムードを決定づけた要素だろう。
代表曲の解説
The Look of Love
弦楽のグリッサンドが一瞬で華やぎを演出し、メロディは恋の高揚を映すように上昇していく。
〈When your girl has left you out on the pavement〉という冒頭の一節は失恋を告げながらも、サウンドは極彩色。
恋の痛みすら着飾ってしまう80年代的ナルシシズムが、ここではきらびやかな正装を纏っている。
Poison Arrow
「恋の毒矢」という邦題が示す通り、甘さと苦さが同居したダンス・ナンバー。
ブラスとシンセベースが絡み合い、コーラス隊の “Shoot that poison arrow” が忘れがたいフックとなる。
サウンドの軽快さに反し、振り向かぬ恋人への苛立ちが滲む歌詞が、カーニバルの仮面の裏に潜む切なさを伝える。
Be Near Me
1985年のヒット曲。スラップベースとガラス細工のようなシンセが空間を彩り、マーティンの声は包み込むように穏やかだ。
テクノロジーとソウルの折衷がもっとも円熟を見せた瞬間であり、ABC流エレポップの完成形とも言える。
アルバムごとの進化
『The Lexicon of Love』（1982）
映画的オーケストレーションとダンスビートが融合した傑作。
恋愛の高揚と瓦解を、1本のロマンス映画のように体験させる。
『Beauty Stab』（1983）
ギターリフと生ドラムが主役の硬質サウンドへシフト。
ポップさを捨てた大胆な実験だが、内省の深度は増し、後年再評価が進んでいる。
『How to Be a… Zillionaire!』（1985）
カラフルなモーション・コミックを思わせるハイパー・ポップ。
MTV文化と手を組み、ヴィジュアル戦略で先進性を示した。
『Alphabet City』（1987）
ニューヨークの摩天楼とストリートの熱を吸い込み、ソウル回帰を果たす。
落ち着きと艶が同居したアダルト・コンテンポラリーの名盤。
『The Lexicon of Love II』（2016）
34年ぶりの続編は、豪奢なストリングスと洗練ビートで往年の魔法を再現。
時を超えてもロマンスは褪せないことを示した。
影響を受けたアーティストと音楽
フィラデルフィア・ソウルの滑らかなストリングス、デヴィッド・ボウイに象徴される英国的アート感覚、そしてロキシー・ミュージックのファッション性。
ABCはこれらをブレンドし、80年代のファッション誌をめくるような音像へ昇華した。
影響を与えたアーティストと音楽
デュラン・デュランやスパンダー・バレエといった同時代バンドはもちろん、後年のジェントルなエレクトロ・ポップ――たとえばルルル・ルモアやザ・1975――にも、都会的ロマンスの表現法を伝えた。
ストリングスとシンセの優雅な絡みは、現代インディーポップ勢にも受け継がれている。
オリジナル要素
マーティン・フライは大学で英文学を専攻しており、歌詞には韻を踏んだ修辞や文学的比喩が散りばめられる。
また『The Lexicon of Love』のレコーディング時、メンバーはスタジオに香水をまき、視覚と嗅覚までも統一したムード作りを徹底したという逸話が残る。
ライブではタキシード姿で現れ、クラブというより舞踏会に招かれたかのような錯覚を観客に与えた。
まとめ
ABCは、恋愛という永遠のテーマをシネマティックかつエレガントに描ききった稀有なバンドである。
ソウルへの敬意と先端テクノロジーの融合は、80年代ポップの美学を象徴し、四十年を経た今も色褪せない。
もし真夜中のネオン街で胸の高鳴りを感じたいのなら、ABCのロマンティックな旋律に身を委ねるのが近道なのかもしれない。
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