発売日: 1997年11月17日(日本先行発売)
ジャンル: ユーロダンス、ポップ、ソウル
概要
『A Moment of Love』は、ドイツを拠点に活動していたユーロダンス・デュオ、ラ・ブーシュ(La Bouche)によるセカンド・アルバムであり、1990年代後半のユーロダンスが辿った成熟と変化を映す作品である。
1995年の『Sweet Dreams』で世界的成功を収めた後、ラ・ブーシュは“ダンスフロアの女王”として君臨していたが、本作ではその勢いを保ちつつも、よりバラードやR&B的要素を取り込んだアプローチが際立っている。
ヴォーカリストのメラニー・ソーントンは、本作を最後にソロキャリアへと進むことになるが、彼女のヴォーカルが持つ深みと表現力の円熟が本作の随所に刻まれている。
また、当時のドイツではユーロダンスの衰退が始まっていた時期でもあり、本作はその中で“踊る音楽”から“聴かせる音楽”へと移行しようとする、ひとつの試みにもなっている。
全曲レビュー
You Won’t Forget Me
アルバムのリード曲。前作の「Be My Lover」に比べ、よりモダンでR&B寄りなサウンドに移行。
「私を忘れないで」というリフレインは、離れていく恋への切なる願いとして響く。
Bolingo (Love Is in the Air)
“Bolingo”という造語を使ったユニークな楽曲。
アフリカン・ビートとユーロ・ポップが融合した異色作で、グローバル志向の強いサウンドが印象的。
Take Me 2 Heaven 2 Night
前作からの再録。クラブ仕様のダンサブルなトラックでありながら、歌詞は天上の愛をイメージしたロマンティックな内容。
エネルギーの再点火を図る役割を果たしている。
A Moment of Love
アルバムのタイトル曲にして、エモーショナルなバラード。
「一瞬の愛」が人生を変えるというテーマを、メラニーの包容力ある歌声で表現。
シンセストリングスとピアノを中心とした落ち着いた構成が、ユーロダンスとは異なる魅力を見せる。
S.O.S.
緊急信号にたとえて恋の苦しみを歌う、アップテンポなラブ・ソング。
サビでの“Save me with your love”というラインが印象的。ラップとの掛け合いも健在。
Say You’ll Be Mine
90年代のR&Bバラードに近いムードを持つトラック。
コーラスワークが美しく、メロディラインにはブラック・コンテンポラリーの影響も感じられる。
Tell Me Why
中盤に配されたミディアム・テンポの曲で、男女間のすれ違いを描く。
切ないメロディと哀愁あるアレンジが、アルバム全体に落ち着きを与えている。
I Can’t Stand It
パーカッシブなトラックと、情熱的なヴォーカルが絡むエネルギッシュな一曲。
タイトル通り「我慢できない」という感情を爆発させる構成。
The Power of Love
ジェニファー・ラッシュのバラード名曲のカバー。
メラニーの声が最大限に生かされ、オリジナルに比べてより温かく、感情豊かな解釈がなされている。
この曲をアルバムに収録したこと自体が、本作が「踊るだけでない」作品であることを物語っている。
Love Is the Answer
アルバムの締めくくりにふさわしい、穏やかで希望に満ちた楽曲。
“愛こそが答え”というメッセージは、90年代ユーロダンスの一つの理想主義的側面を象徴している。
総評
『A Moment of Love』は、単なる“続編”ではなく、ラ・ブーシュの音楽的深化と方向転換を示した野心作である。
特にメラニー・ソーントンの表現力は目覚ましく、前作でのクラブクイーン的ポジションから一転し、ここではソウル・ディーヴァとしての風格すら漂わせている。
ラップとのバランスやトラックの設計もより柔軟になり、ユーロダンスという枠組みを超えて、R&B、ソウル、バラードの要素を貪欲に取り入れている。
ただし、この変化は必ずしも商業的成功につながったわけではない。
当時のダンス市場がEDM以前の踊り疲れのムードにあり、クラブ・ポップから聴く音楽への移行がうまく橋渡しされなかった面もある。
だが、そのことが本作の価値を損なうわけではない。
むしろ今だからこそ、この“ユーロダンスからの逸脱”にこそ注目すべきなのかもしれない。
おすすめアルバム(5枚)
- Amber『Amber』
ユーロダンスとR&Bを横断する女性シンガーによる、濃密なダンス・ポップ。 - Le Click『Tonight Is the Night』
同じくドイツ系のユーロR&Bユニット。メロディアスで感情表現が豊か。 - Tina Arena『Don’t Ask』
ソウルフルなバラード志向が近く、メラニーの声に通じる深みあり。 - Ace of Base『The Bridge』
ダンスとバラードが同居する構成、90年代後半の欧州ポップの典型。 -
Gloria Estefan『Destiny』
情感を重視したポップスとダンスの融合。ラテン要素は異なるが、心の温度は近い。
8. ファンや評論家の反応
『Sweet Dreams』での成功の反動もあり、本作『A Moment of Love』は欧米市場では過小評価されたまま、やや埋もれた印象も否めない。
しかし日本や東南アジアでは比較的高く評価され、バラード曲を中心に根強いファンを獲得している。
特に「You Won’t Forget Me」「The Power of Love」はラ・ブーシュの“真のヴォーカル力”を再認識させたとして、後年再評価の動きも起きている。
2021年には、メラニー・ソーントンの没後20年を機に再注目され、「踊り疲れた時代の、静かな祈り」としての意義を指摘する評論も見られた。
ポップの表舞台から少しだけ離れた場所で、しかし確実に輝きを放ち続ける作品――それがこの『A Moment of Love』なのである。
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