
発売日:1971年3月
ジャンル:Krautrock / Psychedelic Rock / Progressive Rock
概要
Tanz der Lemminge は、ミュンヘンで結成されたAmon Düül IIが1971年に発表した3作目のスタジオアルバムである。前作 Yeti ではサイケデリック・ロックを軸に、作曲された楽曲と長時間の即興演奏を組み合わせていたが、本作ではその方法をさらに複雑な構成へ進めた。オリジナル盤は2枚組で、最初の3面を長大な組曲が占め、最後の面に比較的独立した3曲を配置している。一般的なロックの「曲」を並べるというより、短い場面を連結しながら一つの大きな流れを作る発想が強い作品だ。
中心人物Chris KarrerやJohn Weinzierlのギター、Peter Leopoldのドラムに加え、オルガンやヴァイオリン、さまざまな音響処理が入り込み、音楽はハードロックからフォーク、ドローン、電子音、即興へ頻繁に姿を変える。演奏が複雑でも技巧そのものを見せることが目的ではなく、突然テンポが変わったり、旋律が途中で消えたり、騒音のような音が通常のバンド演奏へ接続されたりするところに特徴がある。英国のプログレッシブ・ロックにも長大な組曲は多かったが、Amon Düül IIの場合は整然とした構築と集団即興が同じ作品内で衝突している。
タイトルは英語では Dance of the Lemmings とされ、「レミングたちの踊り」という意味になる。歌詞にも幻想的で不条理なイメージが多く、明確な物語を追うより、当時のカウンターカルチャーにあった社会への不信や、現実から別の意識状態へ抜け出そうとする感覚が断片的に現れる。前2作の荒々しさを残しながら、スタジオ作品としての構成力を大きく広げたアルバムであり、1970年代初頭の西ドイツで進んでいた独自のロックの発展を知るうえでも興味深い一作である。
全曲レビュー
1. 「Syntelman’s March of the Roaring Seventies」
「In the Glassgarden」「Pull Down Your Mask」「Prayer to the Silence」「Telephonecomplex」という四つの部分からなる長編で、穏やかなギターから重いロック、幻想的な間奏へと場面を切り替えていく。特に面白いのは、一つの主題を長時間展開するのではなく、性格の異なる断片を映画の場面転換のようにつないでいる点だ。フォーク的な旋律のすぐ近くに歪んだギターや不穏な音響が現れ、安定した場所へ落ち着こうとすると次の展開が始まる。歌詞も具体的な筋書きより、仮面や沈黙といったイメージを連ねることで、現実感が少しずつ崩れていくような印象を作っている。
2. 「Restless Skylight-Transistor-Child」
本作で最も細かく区切られた組曲で、「Landing in a Ditch」から「H.G. Wells’ Take Off」まで複数のセクションを連続させる。ギターの反復が突然途切れて別のリズムへ移り、静かなサイケデリアから激しい演奏、電子的な音響へと休みなく変化するため、曲名にある「Restless=落ち着きのない」という言葉がそのまま構成になったように聞こえる。各パートの境界も必ずしも滑らかではなく、あえて唐突につなぐことで予測しにくさを生んでいる。最後の「H.G. Wells’ Take Off」という題名まで含め、現実の時間や場所から離れていくようなSF的感触が強い。
3. 「Marilyn Monroe-Memorial-Church」
アルバム第3面を丸ごと使う長大な演奏で、前の二つの組曲以上に即興性が前へ出る。明快な歌のメロディを追うのではなく、ギターやヴァイオリン、打楽器、持続音が互いに近づいたり離れたりしながら巨大な音響空間を作っていく。静かな部分では個々の音の間隔が広く、そこから歪んだギターが侵入すると景色が急に荒れるため、長尺でも単一の強度にはならない。Marilyn Monroeの名を冠しながら通常の追悼歌にはせず、美しさ、不穏さ、混乱が入り交じった抽象的な音楽にしたところにもAmon Düül IIらしい距離感がある。
4. 「Chewinggum Telegram」
ここまで三面にわたって長編を続けた後、突然コンパクトなロックナンバーが現れる。硬く刻むギターリフとドラムが短時間で曲を押し切り、複雑な場面転換よりバンドの直接的な推進力を聞かせる構成だ。ただし演奏は整いすぎておらず、ギターのざらついた音や少し切迫したボーカルには初期Amon Düül IIの荒々しさが残る。長大な即興だけがこのバンドの武器ではなく、短い形式でも奇妙な緊張を作れることが分かる。
5. 「Stumbling over Melted Moonlight」
ベースの低い反復を足場にして、ギターや電子的な音が周囲を漂うインストゥルメンタルである。題名の「溶けた月明かりにつまずく」という非現実的なイメージに似て、足元のリズムは存在するのに、その上で鳴る音には方向感覚を失わせるような揺れがある。派手なメロディを提示するより、同じパターンを続けることで聴き手の感覚を徐々に変えていくタイプの演奏だ。次曲へほぼ連続する配置もあり、最終面後半を一つの即興的な空間としてまとめる入口になっている。
6. 「Toxicological Whispering」
低音の反復とパーカッションを中心にした不穏な演奏が続き、その周囲へギターや声、さまざまな音響が重なっていく。一般的な終曲のように、それまで登場した旋律を再現して大きく完結させる構成ではない。むしろ輪郭の曖昧な即興へ入り込み、リズムとノイズの境界が崩れていく状態のまま作品を閉じる。最初の二面で見せた細かく設計された組曲とは対照的であり、作曲と即興という本作の二つの方向を最後に即興側へ振り切ったような終わり方になっている。
総評
Tanz der Lemminge の面白さは、長い曲を書いたこと自体ではなく、「長さ」を異なる方法で使っている点にある。「Syntelman’s March of the Roaring Seventies」は短い楽曲を組み合わせたように場面を構築し、「Restless Skylight-Transistor-Child」はさらに細かな断片を高速で切り替える。それに対して「Marilyn Monroe-Memorial-Church」では時間を即興演奏のために開放する。同じ長尺でも、設計された組曲と予測不能な集団演奏では聴感が大きく違い、その両方を並べることでアルバムの規模が生まれている。
演奏面ではギターの存在感が大きいものの、単純なギター中心のロックにはならない。ヴァイオリン、オルガン、打楽器、電子的な処理が曲ごとに異なる位置から入り込み、楽器の役割そのものが途中で変わるからだ。ベースとドラムが強い反復を作っている間は身体的なロックとして聞けるが、その土台が消えると突然、音の方向を判断しにくいサイケデリックな空間になる。この安定と崩壊の往復が、アルバム全体を通した特徴になっている。
同時期の英国プログレッシブ・ロックと比較すると違いも分かりやすい。Amon Düül IIにも組曲形式や複雑な展開はあるが、すべてを精密な演奏で制御しようとはしない。合奏が乱れそうな瞬間や、意味の分からない音、長く続く反復まで作品の一部として残しており、そこには1960年代末のサイケデリック文化や共同体的な即興演奏の感覚がまだ強くある。整った作曲と混沌をどちらか一方に統一しないことが、この作品の個性である。
そのため、Tanz der Lemminge は即座に理解しやすいアルバムではない。長い組曲には意図的に脈絡を断つような箇所があり、「Marilyn Monroe-Memorial-Church」以降では通常の歌やメロディを期待するとつかみにくい時間も続く。しかし、そのまとまりきらなさまで含めて、ロックバンドがどこまで形式を広げられるかを試した記録として説得力がある。Yeti で共存していた作曲と即興をさらに大規模な構造へ持ち込み、Amon Düül IIの最も冒険的な側面を二枚組という形に定着させた作品である。
おすすめアルバム
Yeti by Amon Düül II
前作にあたり、前半の作曲された楽曲と後半の即興演奏という二面性がより明確に現れている。Tanz der Lemminge の複雑な組曲がどこから発展したのかをたどるうえで、最も直接的に比較できる作品である。
Wolf City by Amon Düül II
1972年の作品で、長大な即興より比較的引き締まった楽曲構成へ重点を移している。奇妙な音色や急な展開は残しながら、歌とメロディが前へ出ており、Tanz der Lemminge の混沌をより短い形式へ整理した姿を聞ける。
Tago Mago by Can
同じ1971年の西ドイツから生まれた二枚組作品。反復するリズム、即興、テープ編集、異様なボーカルを使い、通常のロックの形式を大きく広げている。Amon Düül IIより反復志向が強く、同時代の異なる実験方法を比較できる。
UFO by Guru Guru
重く歪んだギターと激しいドラムを軸にしながら、演奏が次第に自由な即興へ崩れていく1970年作。Tanz der Lemminge の荒々しい側面を好む場合、その源流に近い西ドイツのサイケデリック・ロックをより直接的な形で聞ける。
In the Land of Grey and Pink by Caravan
1971年の英国プログレッシブ・ロックを代表する一作で、長編曲と短い歌を一枚の中に共存させている点では本作と重なる。ただし旋律や構成ははるかに整然としており、Amon Düül IIが同じ長尺形式をどれほど不安定で即興的に扱っていたかが際立つ。

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