
発売日: 1995年9月19日
ジャンル: インディー・ロック、オルタナティヴ・ロック
2. 概要
『Here’s Where the Strings Come In』は、アメリカ・ノースカロライナ州チャペルヒルのインディー・ロック・バンド、Superchunk が1995年に発表した5作目のスタジオ・アルバムである。
録音は1995年5月25日から6月4日にかけて、ボストン近郊ロクスベリーの Fort Apache Studios で行われ、レーベルはバンドが主宰する Merge Records。『Foolish』に続くかたちで同年中に出された作品であり、90年代前半の「第一期 Superchunk」の締めくくりとも言える位置にある。
前作『Foolish』がバンド内の対人関係を背景にした、内向きで痛々しい“失恋アルバム”だとすれば、本作はその感情を抱えたまま、もう一度外の世界へ視線を上げるような一枚である。
ギターは依然としてラウドで、テンポも速い曲が多いが、曲構成やダイナミクスは明らかに多彩になり、ミドル〜スローテンポの曲、静と動のコントラスト、リフの作り込みなど、バンドの表現レンジは大きく広がっている。
オープニングを飾る「Hyper Enough」は、本作を代表するキラーチューンであり、のちに映画やゲームにも使用されるなど、Superchunk のカタログの中でもっとも知られた楽曲のひとつだ。
一方で、変則的な拍の揺らぎを持つ「Silverleaf and Snowy Tears」、浮遊感のある「Eastern Terminal」、タイトル曲「Here’s Where the Strings Come In」のエモーショナルなビルドアップなど、単なる“速いインディー・パンク”ではない側面がアルバム全体に散りばめられている。
また、「Green Flowers, Blue Fish」がSF映画『JM(Johnny Mnemonic)』のために録音された楽曲であったり、「Hyper Enough」が映画やテレビゲームのサウンドトラックに採用されたりと、当時のオルタナ・カルチャーの中で、このバンドがどれだけ広く浸透していたかも示している。
批評面では、当時からインディー・シーンの重要作として扱われ、NME や Spin など主要音楽誌が好意的な評価を付けた。
のちの総括的な企画では、Superchunk の全アルバムをランキングした記事の中で本作が上位に置かれ、「Foolish に続く“ツアー・ド・フォース”であり、バンドがもっと大きなオーディエンスを見据えた作品」「複雑な拍子を用いた“Silverleaf and Snowy Tears”や、“Detroit Has a Skyline”の高揚感にこそ、本作の真骨頂がある」と評されている。
2020年代に入ってからは、再発盤やリマスターの登場、そして2025年にはリリース30周年を振り返る記事も掲載され、Superchunk を“インディー・レジェンド”へ押し上げた時期の核心として、あらためて語り直されている。
『Foolish』『Indoor Living』と並べて聴くことで、バンドが「傷だらけの内省」から「大人のインディー・ロック」へと移行していく過程が、このアルバムによく刻印されているのである。
3. 全曲レビュー
1曲目:Hyper Enough
「Hyper Enough」は、“ここから始まる”と高らかに宣言するような、スピード感とキャッチーさを兼ね備えたオープニングである。
ざらついたギター・リフと、Jon Wurster の前のめりなドラムが一気に飛び出し、Mac McCaughan の甲高くも切れ味のある声が、その上を駆け抜ける。
リフ自体はシンプルだが、ブレイクの置き方や、サビ前での一瞬の引きが巧妙で、聴き手の期待を煽ってから一気に解放する構造になっている。
サビのメロディは一発で口ずさめるほどストレートだが、コード進行に少しだけ陰りを忍ばせることで、ただの陽性パンクにはならない絶妙なバランスを保っているのだ。
歌詞は、“十分にハイでいられるか?”という問いを軸に、成長すること・年齢を重ねることへの違和感とプレッシャーを描いているように聞こえる。
バンド自身のキャリアの変化、インディーから“次のステージ”へ進むことへの戸惑いと欲望が、さりげなく折り込まれているようでもある。
ミュージックビデオでは、バンドがグループセラピーに通うという設定で、最後はセラピストの部屋を大暴れしながら破壊してしまう。
シリアスなテーマを抱えつつも、あくまで茶化すように笑ってみせる、このバンドらしいユーモアが詰まった一曲である。
2曲目:Silverleaf and Snowy Tears
「Silverleaf and Snowy Tears」は、複雑な拍の揺らぎと、やや長めの構成が特徴のナンバーである。
ギターはクリーン気味のコードとディストーションのリフを行き来し、リズムはストレートな8ビートに見せかけて、ところどころ拍をずらしたフレーズを挟み込んでくる。
メロディはどこか冬景色のように澄んでおり、タイトルに登場する“雪の涙”“銀色の葉”といったイメージに呼応するかのようだ。
サビに向けて徐々に音数が増え、最後にはギターのノイズがうっすらと渦を巻く。
この曲の存在によって、アルバムがただのパワー・ポップではなく、構造的な凝り方も備えた作品であることが示されている。
歌詞は抽象的で、具体的なストーリーを追うというより、季節感と感情の残り香を言葉で描写していくタイプ。
聞く側の経験や記憶に応じて、違った情景が浮かび上がるような余白を持った一曲である。
3曲目:Yeah, It’s Beautiful Here Too
「Yeah, It’s Beautiful Here Too」は、タイトルどおり、どこか“ここも悪くないよな”とつぶやくような余韻を持つ曲である。
テンポは中間寄りで、ギターはアルペジオを交えながら、空間を大きく使ったサウンドを作り出している。
この曲で特筆すべきなのは、Mac がところどころでファルセット(裏声)気味の歌い方を試みている点だ。
この試みは、のちの『Indoor Living』以降の作品でより顕著になる“柔らかい声の Superchunk”の萌芽として聞き取ることができる。
歌詞は、離れた場所にいる相手に向かって、“そっちもきっと美しいんだろうけど、こっちもそれなりに悪くない”と語りかけているようなニュアンスを持つ。
完全なハッピーエンドではないが、どこか諦念と慰めが入り混じった、成熟した視点の曲なのだ。
4曲目:Iron On
「Iron On」は、ギター・ロックとしての Superchunk の魅力が凝縮された一曲である。
イントロからパワーコードとオクターブ・フレーズがぶつかり合い、すぐにボーカルが飛び込んでくる展開は、ライヴ・セットでも核になりそうな勢いを持つ。
歌詞の中でも、とりわけ印象的なのが「I hardly remember driving you home / Or was I driving you away?」といったフレーズだと言われる。
“君を家まで送っていったことをほとんど覚えていない。いやむしろ、君を遠ざけていたのかもしれない”というニュアンスは、さりげない言い回しの中に、関係性の歪みと後悔を凝縮している。
サウンドはハードだが、メロディはきちんと耳に残るポップさを持ち、サビではコーラスが高揚感を押し上げる。
“感情的にやらかしてしまったときの、どうしようもない振り返り”を、全力疾走のギター・ロックの中に叩き込んだような曲である。
5曲目:Sunshine State
「Sunshine State」は、タイトルの明るさとは裏腹に、どこか憂鬱さを含んだミドルテンポ曲である。
ギターは開放弦を多用し、広がりのあるコードを鳴らしながら、時折ノイジーなリフで空気を裂く。
リズムは比較的落ち着いており、ベースがメロディとリズムの中間を縫うように動くことで、サウンドに奥行きを与えている。
サビでは音が一気に開けるものの、メロディラインの端々に、どうにも拭えない不安や疲労の色が滲んでいるように聞こえる。
“サンシャイン・ステイト”という言葉が、どこか現実から切り離された理想郷として皮肉に使われているのか、それとも具体的な土地を指しているのか――その曖昧さも、この曲の味わいのひとつである。
6曲目:Detroit Has a Skyline
「Detroit Has a Skyline」は、本作の中でももっとも“前向きなアンセム”として語られることが多いナンバーである。
コンパクトな尺の中に、シャキッとしたギター・リフ、跳ねるベース、勢いのあるドラム、そしてシンガロング可能なサビがぎゅっと詰め込まれている。
タイトルに登場するデトロイトの“スカイライン”は、単なる都市の景観描写にとどまらず、“荒れ果てた街にも、まだ希望の輪郭がある”という比喩のようにも感じられる。
崩壊と再生を繰り返してきた街のイメージと、インディー・バンドとしての自分たちの歩みが、どこかで重ねられているかのようなのだ。
曲調自体は明るく、ライヴでは観客が拳を上げて歌いたくなるタイプの一曲。
アルバム前半のラストを、希望と疾走感で締めくくる役目を果たしている。
7曲目:Eastern Terminal
「Eastern Terminal」は、アルバム後半の空気を一変させる、やや長尺のナンバーである。
テンポは落ち着いているが、ギターのサステインやドラムの叩き方にじわじわとした熱量がこもっており、徐々に高まっていくタイプの曲だ。
バックにはさりげない鍵盤/シンセと思しきトーンも忍び込んでおり、Superchunk がそれまでの“ギター+ベース+ドラム”にとどまらない音作りへと移行しつつあったことを示している。
のちの『Indoor Living』で本格化するオーガンや鍵盤使いの、静かな予告編のようにも聞こえる。
歌詞には、移動、ターミナル、東の端といった語が登場し、物理的な移動と精神的な“どこにも落ち着かない感覚”が重ねられているように感じられる。
終盤に向けてのビルドアップは、単なるギター・ノイズではなく、感情の堆積として迫ってくる。
8曲目:Animated Airplanes Over Germany
「Animated Airplanes Over Germany」は、タイトルからして少しシュールなイメージを喚起する一曲である。
ギターのカッティングとリードが絡み合い、ドラムは軽くタメを利かせながら前に進む。
中速ながら、どこか“浮いている”ような感覚を持つ曲だ。
Mac のボーカルは、この曲で特に表情豊かに変化し、高音域でのシャウトと、やや抑え気味のフレーズを行き来する。
30周年の回顧記事では、この曲が“Mac の声が変化していくさまをよく示す一曲”として言及されており、彼の歌い方の進化を感じ取ることができる。
タイトルに出てくる“ドイツ上空のアニメ化された飛行機”は、現実感の薄い映像のようでもあり、戦争や歴史への間接的な言及のようにも取れる。
はっきりした意味を決めつけるよりも、その“ある種の不穏さ”を音と一緒に味わうべき曲だろう。
9曲目:Green Flowers, Blue Fish
「Green Flowers, Blue Fish」は、もともと映画『Johnny Mnemonic』のために録音された楽曲であり、サイバーパンク的なSF世界にも合いそうな、少し夢見心地な浮遊感を持っている。
テンポは抑えめで、ベースとドラムがゆっくりとしたグルーヴを刻み、その上でギターが揺らめくコードと短いフレーズを重ねる。
サビで一度音が厚くなり、またすっと引いていく、その“呼吸”のようなダイナミクスが心地よい。
歌詞は、奇妙な色彩の花や魚が現れるような、半ばシュルレアリスティックな世界観を描く。
具体的なストーリーよりも、見たことのない景色の断片だけが次々と現れては消えていく――そうしたイメージの連なりが、ゆっくりと耳に残る。
10曲目:Here’s Where the Strings Come In
タイトル曲「Here’s Where the Strings Come In」は、アルバム後半の山場のひとつであり、作品全体のテーマを象徴するような一曲である。
イントロは比較的静かに始まり、ギターのアルペジオと控えめなリズムがじわじわと土台を作る。
そこから徐々に音数が増え、サビでは一気に感情が噴き上がる。
歌詞の終盤に登場する「But here’s where everything comes together / Either that or it all falls apart / Yeah, here’s where the strings come in」というラインは、
“ここで全てがまとまるか、完全に壊れてしまうか。ここが“ストリングス(糸/弦)が入り込む場所”だ”という意味合いを持つ。
関係性が修復されるのか、決定的に崩壊するのか――その瀬戸際に立っている感覚が、静かながら切実に刻まれている。
ここで言う“Strings”は、文字通りのストリングス(弦楽器)だけでなく、人と人をつなぐ“糸”であり、物事の因果関係をつなぐ“線”でもあるように思える。
アルバム・タイトルとして掲げられたこのフレーズは、Superchunk 自身のキャリアの“結節点”としての本作の立ち位置を、さりげなく示しているのかもしれない。
11曲目:Certain Stars
ラストを飾る「Certain Stars」は、静かに始まり、徐々にテンションを高めてから、再び静けさの中に溶けていく構成を持つ。
イントロは穏やかなテンポと控えめなアンサンブルで始まり、やがて Wurster のドラムが強くなり、バンド全体が一段階ギアを上げる。
しかし、曲がクライマックスに達したかと思うと、また音量を落とし、タイトルに含まれる“ある星たち(Certain Stars)”というフレーズが繰り返される。
終わりに向かってフェードアウトするのではなく、そっと幕を閉じるようなエンディングは、“ひとまずの区切り”と“続きがまだどこかにありそうな気配”を同時に残す。
アルバム全体を通して積み上げられてきた焦燥や高揚、諦念や希望が、この一曲で静かに混ざり合い、空に散っていく――そんなラストである。
4. 総評
『Here’s Where the Strings Come In』は、Superchunk のキャリアにおいて、“エモーショナルな崩壊”を描いた『Foolish』と、“内省的で室内楽的なムード”が強まる『Indoor Living』のあいだに位置する、重要なハブのような作品である。
バンドのサウンドはここでひとつの成熟点に達しており、初期のインディー・パンク的な衝動はそのままに、曲構成・ダイナミクス・音色の選択において、明らかに“次のステージ”を目指している。
「Hyper Enough」や「Detroit Has a Skyline」といった直球のロック・チューンが、ここまで魅力的なアンセムとして機能しているのは、その背後に「Silverleaf and Snowy Tears」「Eastern Terminal」「Green Flowers, Blue Fish」のような、陰影のある曲たちが控えているからにほかならない。
録音が行われた Fort Apache Studios は、当時のオルタナ〜インディー系バンドが多く利用したスタジオで、ラウドでありながら分離の良いギター・サウンドで知られていた。
本作でも、Jim Wilbur と Mac のギターははっきりと左右に分かれ、Laura Ballance のベースと Wurster のドラムがその間をがっちりと埋めることで、厚みがありながらも情報量過多にならないサウンドが実現している。
前作『Foolish』では、感情の揺れがそのまま曲構成にも反映され、じわじわと崩れていくような印象が強かったが、
『Here’s Where the Strings Come In』では、その感情を一度“曲として整理してから”鳴らしているような感触がある。
「Iron On」のように、一行のフレーズに強烈な感情の層を折りたたむ書き方、「Here’s Where the Strings Come In」や「Certain Stars」のように、決定的な場面をあえて曖昧なまま残す書き方など、Mac のソングライティングは明らかに“後期モード”に足を踏み入れているのだ。
批評の世界では、本作はしばしば“Superchunk もっとも多様で、野心的で、恐れを知らない時期の記録”として語られる。
全アルバムを総ざらいしたランキング企画では、3位に位置づけられ、「“Hyper Enough”のわかりやすい名曲性に加えて、“Silverleaf and Snowy Tears”の複雑な拍子、希望に満ちた“Detroit Has a Skyline”こそが本作の核心だ」と評されている。
興味深いのは、この多彩さが“迷い”としてではなく、“自分たちのやりたいことを広げた結果”として感じられる点である。
テンポや音色の振れ幅は大きいものの、どの曲にも Superchunk らしい推進力とメロディ感覚が貫かれており、“フォロワーには真似しにくいが、一聴して Superchunk と分かる”特異なバランスを保っている。
同時代のバンドと比べると、その独自性はさらに際立つ。
Nirvana や Pearl Jam がメジャー・シーンでグランジ以降のロックを刷新し、Pavement や Guided by Voices がローファイや断片的なポップソングでオルタナの別の軸を切り開いていたとき、
Superchunk はあくまで“インディー目線のまま、メロディックなギター・ロックをアップデートする”という道を選んだ。
『Here’s Where the Strings Come In』は、その選択がもっとも説得力を持って結実した一枚だと言える。
日本のリスナーにとっても、本作はUSインディー・ロックの“基本形”を知るうえで非常に良い入り口になる。
メロディはキャッチーで、英語詞も比較的フレーズがはっきりしているため、歌詞の細部がわからなくても、音の勢いとフックだけで楽しめる。
そこから少しずつ歌詞を追いかけていくと、『Foolish』での傷がまだ癒え切っていないこと、しかしその傷を抱えたままバンドとして前に進もうとしていることが、じわじわと見えてくる。
2020年代に入っても再発盤やリマスターが行われ、30周年の節目には“Superchunk がインディー・レジェンドへと変貌していく過程を捉えた作品”として再評価されていることを思うと、
『Here’s Where the Strings Come In』は、単なる時代の産物ではなく、“ギター・バンドがどう成熟していけるか”という問いに対する、ひとつの模範解答のようなアルバムなのだと感じられる。
5. おすすめアルバム(5枚)
- Foolish / Superchunk(1994)
『Here’s Where the Strings Come In』の直前にあたるアルバム。
恋愛とバンド内の人間関係の崩壊を背景にした、極めて感情的な作品で、Superchunk でもっとも“心をえぐる”一枚として語られることが多い。
本作と聴き比べることで、同じバンドがどのように感情表現の角度を変えているのかがよく分かる。 - On the Mouth / Superchunk(1993)
“Precision Auto”に代表される、スピードと焦燥のインディー・パンクが炸裂する作品。
『Here’s Where the Strings Come In』で見られる多彩さの前段階として、“とにかく速く、メロディックに”というバンドの原点的魅力が詰まっている。
初期三部作として、『No Pocky for Kitty』『On the Mouth』『Foolish』『Strings』を続けて聴くのもおすすめ。 - Indoor Living / Superchunk(1997)
『Here’s Where the Strings Come In』の次作であり、鍵盤やアレンジの工夫が前面に出た“室内楽的”な質感の強い一枚。
テンポも落ち着き、メロディと歌詞のニュアンスがより細やかに描かれるようになる。
“Strings のあとの Superchunk がどこへ向かったのか”を知るうえで、欠かせない作品である。 - Flip Your Wig / Hüsker Dü(1985)
Superchunk の源流のひとつとされる、Hüsker Dü のパワー・ポップ寄り作品。
速いビートの上に強いメロディを乗せる手法、パンクとポップの緊張関係は、Superchunk のサウンドを理解するうえで重要な参照点になる。 - Crooked Rain, Crooked Rain / Pavement(1994)
同じ90年代USインディーを代表する別系統の名盤。
こちらはローファイな音作りとシニカルなユーモアが特徴で、Superchunk とはまた違う“インディーらしさ”を体現している。
両方を聴き比べることで、同時代のインディー・ロックがいかに多様だったかが実感できるだろう。
6. 制作の裏側
『Here’s Where the Strings Come In』のサウンドを語るうえで外せないのが、録音スタジオ Fort Apache と、Merge Records というバンド自身のレーベルの存在である。
Fort Apache は、80〜90年代にかけて多くのオルタナ〜インディー系バンドが出入りしたスタジオで、ラウドだが抜けの良いギター・サウンドと、ライヴ感を残しつつも整理されたミックスで知られていた。
Superchunk はここで、初期の爆発的な勢いを損なうことなく、アンサンブルをクリアに聴かせる録音方法を身につけていく。
レーベル面では、本作は Merge からのリリースであり、バンドがメジャー・レーベルに移らず、自前の土台を固める方針を選んだことを象徴する作品でもある。
同時期、多くのオルタナ・バンドがメジャー契約を結ぶ中で、Superchunk は自らのレーベルに軸足を置くことで、音楽的にもビジネス的にも“自分たちのペース”を守ろうとした。
結果として Merge は、90年代以降のインディー・ロックを代表するレーベルへと成長し、Superchunk 自身も“自分たちのコミュニティを育てるバンド”として語られるようになる。
その一方で、『Here’s Where the Strings Come In』は決して“内輪向け”のレコードではない。
むしろ、Stereogum の回顧的な評価が述べるように、“より大きなオーディエンスに届くことを意識したツアー・ド・フォース”でもあった。
インディーの美学を保ちつつ、メロディとアレンジの面で開かれた作品に仕上げたことが、このアルバムの特異なバランスなのだ。
2010年代以降には、オリジナル1/2インチのテープを元にしたリマスター盤も制作され、再評価の機運がさらに高まった。
アナログ盤の重量盤再発や、ボーナス音源付きのリイシューによって、当時リアルタイムで触れられなかった世代にも、本作の空気が届くようになったのである。
9. 後続作品とのつながり
『Here’s Where the Strings Come In』は、Superchunk の“第一期インディー・ロック黄金期”の最終地点であると同時に、“第二章”の入り口にもなっている。
まず、感情表現の面では、『Foolish』で極限まで研ぎ澄まされた内面の痛みが、本作では曲の構造やアレンジに埋め込まれるかたちで表現されている。
その流れは、のちの『Indoor Living』でさらに内省的かつ静謐なサウンドへと変化し、鍵盤やストリングス的なアレンジの導入、本格的なテンポのスローダウンへとつながっていく。
「Yeah, It’s Beautiful Here Too」でのファルセットや、「Eastern Terminal」での鍵盤的サウンドの導入、「Green Flowers, Blue Fish」での浮遊感のあるアレンジは、明らかに“次の Superchunk”への伏線として機能している。
それでもなお、「Hyper Enough」「Detroit Has a Skyline」といった曲が、ライヴで今なおセットリストの中心に据えられている事実は、バンドがこの時期のソングライティングとエネルギーを、自分たちの核として認識していることの裏返しだろう。
30周年を振り返る2025年の記事では、『Foolish』『Indoor Living』と並べて“バンドが型を破り、インディー・レジェンドへと変貌していく過程を完璧に捉えた作品”と位置づけられている。
Superchunk をディスコグラフィ単位で追っていくとき、『Here’s Where the Strings Come In』は、単なる通過点ではなく、“変化の瞬間をそのままパッケージした”アルバムとして、特別な重みを持っているのである。
参考文献
- Wikipedia “Here’s Where the Strings Come In”(作品基本情報、録音場所・日程、トラックリスト、楽曲のタイアップ情報など)
- Stereogum “Superchunk Albums From Worst To Best”(本作の位置づけ、曲ごとの特徴、バンド史の中での評価)
- “30 years of ‘Here’s Where the Strings Come In’: A Superchunk retrospective”(リリース30周年記事。曲ごとの解説や当時の文脈)
- Bandcamp / Apple Music / 各種通販サイト(リマスター情報、トラックリスト、再発盤のクレジット)



コメント