1. 歌詞の概要
「In the Ghetto」は1969年にリリースされたエルヴィス・プレスリーのシングルで、アルバム『From Elvis in Memphis』にも収録された。歌詞はアメリカ社会の貧困、暴力、そしてその連鎖をテーマにした社会的メッセージソングである。舞台はシカゴのゲットー。そこでは貧しい母親のもとに子どもが生まれるが、飢えと貧困の中で成長し、やがて犯罪へと引きずり込まれ、最後には若くして命を落とす。その直後にまた新しい命がゲットーに生まれることで、悲劇が終わらないことを暗示している。
エルヴィスの多くのヒット曲が恋愛や日常をテーマにしていたのに対し、「In the Ghetto」は初めて社会的問題に直接触れた楽曲であり、その誠実なトーンと深い悲しみを湛えた表現が強烈な印象を与える作品となった。
2. 歌詞のバックグラウンド
この曲はソングライターのマック・デイヴィスによって書かれた。デイヴィスはアメリカ南部の出身で、幼い頃から貧困層の現実を目の当たりにしており、その経験をもとにこの曲を書き上げたという。エルヴィスにとっても、この曲を歌うことは大きな挑戦であった。なぜなら、彼のイメージは主に恋愛やポップなテーマを扱う大衆的スターであり、社会問題を歌うことは政治的なリスクを伴っていたからだ。
しかし1968年の「’68 Comeback Special」でアーティストとしての復活を果たしたエルヴィスは、新しい表現領域に挑戦する気概を持っていた。1969年、メンフィスのアメリカン・サウンド・スタジオで録音された「In the Ghetto」は、その挑戦の象徴的作品であり、彼のアーティスト像を再定義する重要な一曲となった。
このシングルは全米3位、イギリスでは2位を記録し、世界的なヒットとなった。単なるラブソングではなく社会的テーマを扱ったことで、エルヴィスが「時代の空気」を真正面から受け止めたアーティストであることを示した瞬間だった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius
“As the snow flies
On a cold and gray Chicago morn’
A poor little baby child is born
In the ghetto”
「雪が舞う
寒く灰色のシカゴの朝に
貧しい幼子が生まれる
ゲットーの中で」
“And his mama cries”
「そして母親は泣く」
“People, don’t you understand
The child needs a helping hand?”
「人々よ、わからないのか
この子どもには助けが必要なのだと?」
“Or he’ll grow to be an angry young man someday”
「そうでなければ、彼はいつか怒れる若者へと育つだろう」
“And his hunger burns”
「彼の飢えは燃え盛る」
“Another little baby child is born
In the ghetto”
「そしてまたひとりの赤ん坊が生まれる
ゲットーの中で」
循環する悲劇の構図が繰り返し歌われ、聴く者に強い衝撃を与える。
4. 歌詞の考察
「In the Ghetto」は、エルヴィスがキャリアの中で初めて社会的発言をした楽曲として特筆すべき存在である。歌詞はきわめて直接的で、貧困が犯罪を生み、その連鎖がまた新たな悲劇を生むという現実を描いている。そこには希望や解決策は提示されず、ただ「この連鎖を止めなければならない」という問いかけだけが残される。
エルヴィスの歌声は情熱的でありながらも冷静で、説教的ではなく、淡々としたナレーションのように悲劇を語っている。その抑制された表現が逆に強いリアリティと痛切さをもたらしているのだ。
また、この曲は1960年代後半という時代背景を考えるとより深い意味を持つ。公民権運動、都市暴動、ベトナム戦争といった社会不安が渦巻く中で、アメリカの都市ゲットーの現実は切実な問題となっていた。「In the Ghetto」は、その時代精神を音楽に刻み込んだ証言とも言える。
さらに、エルヴィス自身がメンフィスという南部都市の出身であり、幼い頃に貧困を経験していたことも、この曲にリアリティを与えている。彼は自らの体験を直接歌ったわけではないが、貧困層の痛みを知る者として、この曲を真摯に表現することができた。
(歌詞引用元:Genius Lyrics / © Original Writers)
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Suspicious Minds by Elvis Presley
同じ1969年の録音で、彼の復活を象徴する大ヒット曲。 - Only the Strong Survive by Jerry Butler
貧困や都市の現実をテーマにしたソウル・ナンバー。 - What’s Going On by Marvin Gaye
社会問題を音楽で描き出した代表的ソウル・アルバム。 - A Change Is Gonna Come by Sam Cooke
公民権運動を象徴する、希望と苦悩のバラード。 - Inner City Blues (Make Me Wanna Holler) by Marvin Gaye
「In the Ghetto」と同様に都市貧困を告発する名曲。
6. 社会的楽曲としての意義
「In the Ghetto」はエルヴィスのキャリアにおける重要な転機であり、彼が単なるエンターテイナーではなく「時代を映すシンガー」であったことを示した。社会的テーマを扱うことで、彼の表現はより普遍的で重層的なものとなり、同時に1960年代後半という混沌の時代を記録する証言ともなった。
また、この曲は1969年の「エルヴィス復活」の一部でもあった。’68 Comeback Specialでロックンロールの原点に立ち返った彼が、翌年に「In the Ghetto」で新たなメッセージ性を獲得し、アーティストとしての成熟を示したのだ。
「In the Ghetto」は、愛とロマンスを歌うだけではないエルヴィスの真の力量を示す作品であり、今なお社会的意義を持って聴かれ続けている。
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