
1. 歌詞の概要
「Old England(古きイングランド)」は、The Waterboysが1985年にリリースしたアルバム『This Is the Sea』に収録された、最も鋭い社会批評性を持つ楽曲のひとつである。この曲では、マイク・スコットが冷静かつ詩的な視点で、1980年代中盤のイギリス社会の荒廃と精神的崩壊を描き出している。
タイトルの「Old England」は、一見すると郷愁を誘うような響きを持つが、この楽曲における「古きイングランド」とは、決して美しい伝統の象徴ではなく、むしろ凋落しつつある国の姿を皮肉と痛みを込めて指し示している。
楽曲の中では、失業、ドラッグ、孤独、自殺、偽善、国家の道徳的退廃といったテーマが次々と描かれ、聴く者を激しく揺さぶる。マイク・スコットの言葉は、告発でも煽動でもなく、あくまで詩人としての観察と記録のように機能しており、それゆえにリアルで、逃げ場がない。
2. 歌詞のバックグラウンド
1980年代のイギリスは、マーガレット・サッチャー政権のもとで経済構造の大規模な再編が行われた時代である。鉱山の閉鎖、大量の失業、社会保障の切り捨て、都市と地方の格差拡大――そうしたなかで生まれた若者たちの無力感や絶望が、この曲の背景にある。
マイク・スコットは、単なる政治的立場からこの曲を書いたわけではない。むしろ彼が描いているのは、“精神的に壊れつつある国民の顔”であり、かつて誇りと美学を持っていた国が、そのアイデンティティを見失い、“酔い”の中に沈んでいく様子だ。
楽曲はピアノとヴァイオリンの印象的な旋律から始まり、徐々に壮大なスケールへと膨らんでいく。そのサウンドはまるで、壊れゆく国を天から見下ろすような、怒りと悲しみをたたえた“葬送行進曲”のようにも聴こえる。
3. 歌詞の抜粋と和訳
Old England is dying
古きイングランドは、いま死につつあるAnd he drinks to remember, he drinks to forget
思い出すために飲み、忘れるためにも飲むHe puts himself to bed and sleeps like a threat
ベッドに潜り込み、脅威のように眠るHe keeps his memories locked in a box
彼の記憶は、鍵のかかった箱の中
出典: Genius Lyrics – Old England by The Waterboys
4. 歌詞の考察
「Old England」は、国という“集合体”ではなく、ひとりひとりの人間の精神状態を通じて、時代の崩壊を描いた作品である。
主人公は、アルコールに溺れ、かつての記憶に囚われ、眠ることで“存在を消そう”としている。そんな姿は、明らかに社会に置き去りにされた者の象徴であり、国家に捨てられ、過去にすがるしかない“現代の亡霊”のようでもある。
「He drinks to remember, he drinks to forget」という繰り返しは、記憶と忘却という相反する行為が、同じ行動に込められているという皮肉を描いており、アルコールという手段が、精神のコントロールをすでに失っていることを意味している。
さらに、「Old England is dying」という直接的な言葉が持つ重みは、ただの政治的フレーズではなく、“魂の崩壊”を示す比喩でもある。
この曲における“イングランド”とは国土や政府ではなく、“かつてこの国に宿っていたはずの詩や理想”を意味しており、それが死にかけているという警告なのだ。
それでもこの歌には、一筋の希望が残されている。それは、こうして“歌にすること”そのものが、まだこの国に“言葉が生きている”ことの証であるという、詩人としての信念である。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Shipbuilding by Elvis Costello
フォーク・ジャズの形式を借りて戦争経済と人間の痛みを描いた社会派の名曲。 - Ghosts of Cable Street by The Men They Couldn’t Hang
イギリスの戦間期ファシズムと市民抵抗を題材にした壮大なフォークパンク叙事詩。 - Between the Wars by Billy Bragg
労働者階級の喪失と希望をシンプルに描いた政治フォークの傑作。 - The Queen Is Dead by The Smiths
英国王室を風刺しつつ、現代イギリス人の疎外感とシニシズムを鋭く切り取った名作。 - The River by Bruce Springsteen
経済的苦悩と若者の絶望を、極めてパーソナルな視点で描いたアメリカ版“社会のブルース”。
6. 終わりゆく国に捧げる、魂の黙祷
「Old England」は、The Waterboysの中でも最も社会的でありながら、最も詩的な楽曲である。
それは風刺でもプロテストでもなく、“静かなレクイエム”であり、かつて栄光を誇った国の“精神的瓦解”を見つめた、悲しみに満ちた預言のようでもある。
この歌を通して、Mike Scottは国家という巨大な装置のなかに埋もれていく個人の声をすくい上げた。そしてそれは決して過去の話ではない。
どの時代にも、“Old England”のような場所があり、“忘れられた人々”が存在している。
彼らの痛みを、社会は忘れたとしても、音楽は忘れない。
この曲は、そんな音楽の誠実さを証明するように――静かに、確かに、今日も鳴り響いている。
それは、“死にかけているもの”にこそ耳を傾ける者にしか聴こえない、魂の鐘の音なのである。
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