イントロダクション
1980年代の英国――冷戦の影、失業率の上昇、サッチャー政権下の緊張。
そんな社会のざわめきの中で、Heaven 17は生まれた。
硬質なシンセサウンドに乗せて、消費社会と階級問題を語り、時に艶やかなグルーヴでリスナーを誘う。
彼らの音楽は“踊れる社会批評”であり、ニューウェーブ/シンセポップの中でもひときわ知性とアイロニーを放っていた。
バンドの背景と歴史
Heaven 17は、1980年、英国シェフィールドにてMartyn WareとIan Craig MarshがThe Human Leagueを脱退したのちに結成。
彼らは新たなプロジェクトとしてBEF(British Electric Foundation)を立ち上げ、そのボーカリストとしてグレン・グレゴリーを迎え入れたことにより、Heaven 17が始動した。
バンド名は、スタンリー・キューブリックの映画『時計じかけのオレンジ』に登場する架空バンドからの引用。
この時点で彼らが“現実とフィクションのあいだ”に立つ存在であることを示唆している。
1981年のデビュー・アルバム『Penthouse and Pavement』では、エレクトロニクスとファンクを融合させたサウンドと、企業社会への風刺が交差。
その後も『The Luxury Gap』(1983)で「Temptation」が大ヒットを記録し、批評的にも商業的にも高い評価を獲得した。
音楽スタイルと影響
Heaven 17のサウンドの核は、シンセサイザーを駆使した機械的で都会的なグルーヴにある。
だがそこに宿るのは冷たい無機質さではなく、明確な“メッセージ”と“ファンクネス”。
スラップベースを模したシンセ、パーカッション的なシーケンス、コーラス隊によるソウルフルなアレンジ――これらが交錯することで、人工的なのに有機的な、独特の“電子ファンク”を形成していた。
また、歌詞においても他のシンセポップ勢とは一線を画す政治性・社会性が特徴的。
冷戦、格差、消費、都市――Heaven 17はこれらをポップに包み込み、クラブで踊りながら考えさせるような音楽を作った。
代表曲の解説
Temptation
1983年の代表曲。ゴスペル風の女性コーラスと重厚なシンセが交差し、欲望と葛藤を描くダイナミックな楽曲。
「I resist temptation」というサビは、抑えきれない欲望と理性のせめぎ合いを、まるで都市の喧騒の中で繰り返される心の叫びのように響かせる。
Heaven 17最大のヒット曲であり、シンセポップが持ち得るドラマ性の極致といえる。
(We Don’t Need This) Fascist Groove Thang
デビュー作からの挑発的な一曲。
サッチャー政権とレーガン政権を直接的に批判し、BBCで放送禁止となったことでも知られる。
音楽的にはファンクとシンセの融合による鋭いビートが印象的で、政治的怒りとダンスフロアの快楽が奇妙に同居している。
Let Me Go
都会の孤独と欲望を静かに描いた名曲。
ミニマルなシンセの反復と、グレンの内省的なヴォーカルが、冷たい夜の情景を思わせる。
曲が進むごとに少しずつ熱を帯びていく構成が秀逸で、じわじわと感情を高めていく名バラード。
アルバムごとの進化
『Penthouse and Pavement』(1981)
バンドの原点にして社会批評性の強い一作。
企業文化への風刺、都市生活の緊張感をテーマに据え、電子音とファンクの奇妙な同居を実現。
タイトルが象徴するように、“上層階”と“舗道”、成功と労働者階級という二極を貫く視点が鮮やかである。
『The Luxury Gap』(1983)
よりキャッチーでポップな方向へ舵を切ったアルバム。
「Temptation」「Come Live With Me」「Let Me Go」など名曲揃い。
だが、音楽の快楽性の裏には常に政治や社会への批評が込められており、“贅沢の隙間”というタイトルがすべてを物語る。
『How Men Are』(1984)
テクノロジーと人間性、男性性への批評が浮き彫りとなる一作。
オーケストラや女性ボーカルの導入など音楽的な実験も豊富で、80年代中期の彼らの成熟が感じられる。
影響を受けたアーティストと音楽
クラフトワークやブライアン・イーノといった電子音楽の先駆者からの影響は明白。
また、70年代のソウル/ファンク――特にEarth, Wind & FireやParliamentのグルーヴ感も彼らのビートの根幹にある。
そして、デヴィッド・ボウイのようなコンセプト志向や、ギル・スコット=ヘロンのようなポリティカル・ソウルにも共振する思想性があった。
影響を与えたアーティストと音楽
Pet Shop Boys、New Order、LCD Soundsystemなど、“考えるシンセポップ”の系譜において、Heaven 17の影響は大きい。
また、Hot ChipやLa Rouxなどの2000年代以降のエレクトロ・ポップ勢も、彼らの“踊れるインテリジェンス”を受け継いでいる。
オリジナル要素
Heaven 17は、社会批評とクラブ・サウンドを本気で融合させた最初のバンドのひとつである。
ポリティカルでありながらも決して説教臭くなく、むしろ“踊りながら考える”という新たな知的快楽を提供した。
また、プロジェクトBEFを通じて多数のカバー曲をリリースし、音楽の歴史と技術の再解釈にも貪欲だった。
その姿勢は、音楽を“時代に対する応答”と捉える、極めて現代的なアプローチである。
まとめ
Heaven 17は、シンセの冷たさとソウルの熱、都市の硬質さと人間の感情――そのすべてを同時に鳴らすことができた稀有な存在である。
政治と音楽、ポップと思想、快楽と批評がせめぎ合うそのサウンドは、今なお色あせることがない。
都市の夜に、耳元でささやくような電子の声。
それはHeaven 17から届く、知性とグルーヴの調和なのだ。
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