
発売日: 1989年1月30日
ジャンル: ソウル・ポップ、ニューウェイヴ、ブルー・アイド・ソウル
概要
『The Raw & the Cooked』は、Fine Young Cannibalsが1989年にリリースした2作目のスタジオ・アルバムであり、世界的成功を収めた彼らの代表作にして事実上のラスト・アルバムでもある。
前作『Fine Young Cannibals』(1985)で築かれたソウルフルでミニマルなサウンドに、80年代後期のポップ感覚、ファンク、ロックンロール、そしてシネマティックな美学が加わり、よりスケールの大きな作品へと進化した。
タイトルの『The Raw & the Cooked』は、構造人類学者クロード・レヴィ=ストロースの著作からの引用であり、“生と調理されたもの”=“本能と文明”の対比を意味している。
この二元性はアルバム全体に通底しており、激しくも繊細、情熱的でありながらクールという、Fine Young Cannibalsの矛盾的で魅力的な音楽性を象徴している。
アルバムは全英1位、全米1位を記録し、「She Drives Me Crazy」「Good Thing」など複数のシングルヒットを生み出す。
FYCはこの1作で世界のトップ・ポップアクトの仲間入りを果たすが、以後オリジナル・アルバムはリリースされず、これが最終作となる。
全曲レビュー
1. She Drives Me Crazy
FYC最大のヒット曲であり、ポップス史に残る80年代アンセム。
特徴的なスナップ・スネアと跳ねるベース、そしてローランド・ギフの裏声ヴォーカルが中毒性を生んでいる。
“狂わせるような恋”というテーマを、ダンスと緊張感のあるミニマリズムで描ききった金字塔的ナンバー。
2. Good Thing
60年代モータウン風の軽快なリズムとコーラスが魅力のナンバー。
映画『Tin Men』用に書かれた曲で、ロマンティックかつ懐かしい雰囲気が漂う。
しかしそこにあるのはただのレトロ趣味ではなく、90年代を先取りするようなノスタルジーと洗練の融合。
3. I’m Not the Man I Used to Be
トリップホップ的なビートとアフリカン・パーカッションが融合した異色の曲。
“昔の自分ではない”というセルフリフレクションがテーマで、時代感覚の変化や自己の移ろいをしっとりと描いている。
ギフの歌声はここで最もエモーショナルかつ陰影豊か。
4. I’m Not Satisfied
キャッチーなリフと焦燥感に満ちた歌詞が印象的。
“不満足だ”と繰り返すコーラスには、消費社会や恋愛への倦怠が込められている。
メロディはポップだが、ギフの投げやりなボーカルにより、非常に皮肉な印象を残す。
5. Tell Me What
モータウン的なコード進行に、洗練されたアレンジが乗るポップナンバー。
軽やかながらも、歌詞にはどこか関係の終焉を感じさせる空気が漂う。
楽器構成が少なく、余白を活かしたアレンジが心地よい。
6. Don’t Look Back
力強いビートと前向きなメッセージを持ったナンバー。
“過去を振り返るな”というタイトルが示すように、自己肯定と未来志向をテーマにしている。
この曲でのギフの歌唱は最も伸びやかで、明るい空気が漂う。
7. It’s OK (It’s Alright)
シンコペーションの効いたビートとハンドクラップが印象的なダンス・チューン。
歌詞はシンプルだが、“大丈夫、うまくいく”というメッセージが素直に伝わる構成になっている。
中盤のホーンがソウルフルなアクセントに。
8. As Hard As It Is
バラード的な構成で、ギフのハスキーでセンシティブな声が最も生々しく響く。
“どれほど辛くても、受け入れなければならない”というテーマは、本作全体の中でもっとも静かで強い一曲。
9. Ever Fallen in Love
Buzzcocksのパンク・クラシックを、ソウルポップとして大胆に再構築したカバー。
オリジナルの切迫感はそのままに、ギフの情感豊かなヴォーカルが新たな層を加えている。
パンクとソウルが見事に融合した解釈であり、バンドの音楽的リテラシーの深さがうかがえる。
10. You Never Know
アルバムの締めくくりにふさわしい、柔らかくポジティブなナンバー。
“人生は何が起こるかわからない”という歌詞が、アルバム全体のテーマに再び光を当てる。
聴後感としての余韻が美しい。
総評
『The Raw & the Cooked』は、Fine Young Cannibalsというバンドが時代の境界線で放った最も純粋で完成されたポップ表現である。
ソウル、ポップ、ロック、R&B、ダンス、トリップホップ的要素までも飲み込みつつ、それが決して散漫にはならず、“ひとつの世界観”として成立しているのは、ローランド・ギフのヴォーカルと、緻密なアレンジの統率力ゆえである。
本作では、“本能と理性”“衝動と抑制”が絶えず拮抗し、それが音楽に独特のテンションを与えている。
その魅力は、80年代的派手さとは一線を画しながら、90年代的な静かな知性と融合し、時代をまたぐ名盤として今もなお語り継がれている。
そして、これが彼らの“最後のアルバム”であったという事実は、ますますこの作品に特別な輝きを与えている。
おすすめアルバム(5枚)
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Tears for Fears / The Seeds of Love (1989)
ジャンル横断的なポップの完成形。知性と情感のバランスが共鳴。 -
Swing Out Sister / Kaleidoscope World (1989)
洗練されたソウル・ポップの極み。アーバンで内省的な美。 -
Sade / Promise (1985)
静かな強さとスムースなソウル。FYCの静謐さに通じる空気感。 -
Simply Red / A New Flame (1989)
ブルー・アイド・ソウルの成功例。ギフとは異なるが共振する世界。 -
Prefab Sprout / Jordan: The Comeback (1990)
ポップにおける“アート性”の高みに達した傑作。テーマの多層性がFYCと共通。
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