発売日: 2024年3月8日
ジャンル: オルタナティヴ・ポップ、フォーク、ソウル、アコースティック
心のままに、夢のままに——Norah Jones、日常の内に咲く“幻”をそっと掬い上げた親密な一枚
『Visions』は、Norah Jonesが2024年にリリースした最新スタジオ・アルバムであり、穏やかなメロディとあたたかいサウンドに包まれながら、現実と夢、日常と想像を自在に行き来する、静かで自由な“心象風景”のような作品である。
本作の全体を貫くのは、“柔らかな開放感”と“自然体の音楽”。
プロデューサーにはLeon Michels(El Michels Affair)を迎え、宅録的な質感とミニマルな編成が生むリラックスした空気感が特徴で、ジャズにルーツを持つ彼女の音楽が、さらにカントリー/ソウル/ポップへと溶け込みながら進化を遂げている。
歌詞は、夢、風景、別れ、再会、あるいはささやかな幸福など、特定のストーリーに縛られない“感覚的な断片”が並び、聴く者それぞれの感情を映し出すような余白に満ちている。
タイトルの「Visions(幻/幻視)」が示す通り、これは明確な答えやメッセージではなく、**ただそこに“在る”ことの美しさを肯定するアルバムなのだ。
全曲レビュー
1. All This Time
ピアノとドラムがふわりと絡むイントロから始まる、シンプルながら親密なラブソング。 “ずっとそばにいた”という繰り返しが、時の流れをやさしく刻む。
2. Staring at the Wall
やや浮遊感のあるコード進行とリズムが印象的。何もしないことの贅沢さと、沈黙のなかにある思考の奔流を描いたような一曲。
3. Paradise
オルガンの響きとシンプルなメロディ。“楽園”という言葉にこめられた、逃避でも理想でもなく、“今ここ”を肯定する静けさが漂う。
4. Queen of the Sea
柔らかなリズムと水のように揺れる歌声。架空の存在=“海の女王”を通じて、自分自身の深層を覗き込むような幻想曲。
5. Visions
アルバムのタイトル曲。夢のようなコードとハーモニーが交錯する、非現実と現実のはざまを漂うようなトラック。
6. Running
軽やかなギターとルーズなビートが心地よいテンポを生む。何かから逃げるのではなく、風にまかせて走るような自由さを感じさせる。
7. I Just Wanna Dance
もっともポップで躍動感のある一曲。“ただ踊りたいだけ”というリリックが、複雑さを排した純粋な喜びとして響く。
8. I’m Awake
囁くようなピアノ・バラード。「目覚めている」というシンプルな言葉の裏に、愛や喪失、気づきが潜んでいる。
9. Swept Up in the Night
夜の風景をそのまま音にしたような、静かなドリーミー・フォーク。 ノラの呼吸がそのままリズムになるような親密さ。
10. On My Way
別れと前進のあいだにある曖昧な心境を、淡い光のように表現したナンバー。 「行く先はまだ見えないけれど、歩き出している」そんな余白がある。
11. Alone With My Thoughts
内省のピークにあるような、自分との静かな対話を綴る曲。 音数は少なく、声とピアノだけが残る。
12. That’s Life
軽やかなユーモアとともに、“それが人生”と笑い飛ばすような肩の力が抜けたトラック。 アルバムのラストにふさわしい“明るい曖昧さ”。
総評
『Visions』は、Norah Jonesがキャリア20年を経てたどり着いた、“ひとりの女性としての音楽”そのものである。
メッセージを強く打ち出すこともなく、技術を誇示するでもない。
ただ、自分の部屋で思い浮かんだ旋律を、思いのままに奏で、録音し、形にしたようなアルバム。
その親密さ、ざらつき、そして肩肘張らない美しさは、まさに“幻”のようでありながら、どこかで確かに触れられるリアルでもある。
日常のなかに潜む“魔法”をそっと差し出すようなこの作品は、誰にとってもパーソナルな光景を映し出す鏡になり得る。
おすすめアルバム
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