発売日: 2017年9月29日
ジャンル: スピリチュアル・ポップ、キルタン、ニューエイジ、アコースティック
概要
『Wilder Shores』は、ベリンダ・カーライルが2017年に発表した8枚目のスタジオ・アルバムであり、これまでのキャリアの中でも最もスピリチュアルかつ瞑想的な作品である。
前作『Voila』でフレンチ・ポップの名曲群をフランス語でカバーした彼女は、本作においてさらに深く内面と向き合い、サンスクリット語の“キルタン(神への詠唱)”という形で、自己探求の旅を音楽として表現している。
キルタンとは、インドの伝統的な信仰に根差した“音楽的マントラ”のことであり、ベリンダは長年にわたるヨガの実践と精神世界への関心から、このジャンルへと導かれた。
プロデューサーはジョン・レヴェンソンが引き続き担当。
楽器にはシタールやハーモニウム、タブラに加えて、アコースティックギターや西洋のストリングスが組み合わされており、伝統と現代の美しい融合が実現している。
アルバムの最後には、代表曲「Heaven Is a Place on Earth」のアコースティック再録バージョンも収録されており、“ベリンダ・カーライルという存在のスピリチュアルな現在地”が音と言葉で刻まれている。
全曲レビュー
1. Adi Shakti
“女性的な神聖さ”を象徴するマントラで幕を開ける。透明感ある歌声とアコースティックな響きが、まるで朝の光のように静かに差し込んでくる。
2. Ek Ong Kar Sat Gur Prasad
内なる平和を導く詠唱。ゆったりとしたリズムに乗せて繰り返されるマントラが、リスナーの意識を穏やかに整えていく。
3. Gobinday Mukanday
浄化と解放をテーマにした神聖な響き。重層的なボーカルが波のように押し寄せ、心を洗うような感覚を生む。
4. Har Gobinday
よりテンポ感があり、コール&レスポンス的な構成が特徴的。キルタンの祝祭性とポップの親しみやすさが見事に融合している。
5. Humee Hum Brahm Hum
“私たちは神であり、神は私たちの中にある”という思想を体現した一曲。メロディアスでありながら、瞑想的。
6. Rakhe Rakhan Har
守護と安心を象徴するマントラ。ハーモニウムとベリンダの声が一体化し、優しく包み込むような響きを生み出している。
7. Singh Kaur
アルバム中もっとも感情的でドラマティックな展開を見せる楽曲。名前の通り、霊的女性性の力強さと優しさが混ざり合う。
8. Light of My Soul
英語詞とサンスクリット語を融合させた、心の中の光を讃えるトラック。現代的なアコースティック・ポップの感触もあり、耳なじみが良い。
9. Heaven Is a Place on Earth(Acoustic Version)
80年代の代表曲を、まったく新しい表情で再構築。アコースティック・アレンジにより、歌詞のスピリチュアルな意味が浮かび上がる。
総評
『Wilder Shores』は、ベリンダ・カーライルが“歌う”という行為を通して、精神性と自己認識を深めていく過程を記録したアルバムであり、単なるジャンルの変化ではなく、人生観の転機を音楽として昇華させた作品である。
この作品では、かつての煌びやかなポップヒットやロックのエネルギーとは異なり、“静けさ”と“繰り返し”が重要な役割を果たしており、聴く者に癒しと安定、そして“祈り”に近い体験を提供する。
一方で、サンスクリット語やシク教の用語を用いた楽曲群に対しては、“ポップスターがなぜキルタンを?”という疑問や戸惑いの声も少なくなかった。
だが、そこにあるのは文化の表層をなぞるのではなく、自身の内面と向き合い、表現としての“敬意”を形にした誠実さである。
『Voila』が“異国を歌う”アルバムだとすれば、『Wilder Shores』は“内なる宇宙を歌う”アルバムであり、ベリンダ・カーライルという存在の“輪郭がにじむ音楽”として、聴く価値の高い一枚なのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Deva Premal『The Essence』
本格的なキルタン・アルバム。スピリチュアルな歌声と瞑想音楽の代表格。 - Snatam Kaur『Grace』
同じくシク教のマントラを歌う女性アーティスト。癒しと敬虔さに満ちた作品。 - Loreena McKennitt『The Book of Secrets』
ケルティックで霊的な音楽世界。ベリンダのスピリチュアル志向との親和性が高い。 - Sarah Brightman『Harem』
ポップスとワールド・ミュージックの融合による異文化的表現の極致。 -
George Harrison『Living in the Material World』
ポップスターがスピリチュアルな領域へ踏み込んだ先駆的作品。『Wilder Shores』の系譜に連なる。
後続作品とのつながり
『Wilder Shores』は、ベリンダが音楽活動の“使命”を問い直し、“誰かのために歌うこと”から“自分自身とつながること”へと視点を変えた転機のアルバムである。
この作品を通して彼女は、1980年代のスター性から完全に脱却し、“生き方としての音楽”を選んだ。
次のアルバムがどうなるか──
それは未定であっても、『Wilder Shores』はベリンダ・カーライルという存在が“どこから来て、今どこにいるか”を伝える、スピリチュアルな旅の地図そのものである。
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