1. 歌詞の概要
「Thinking About You」は、ノラ・ジョーンズが2006年に発表した3rdアルバム『Not Too Late』からの先行シングルであり、彼女にとって初めて明確に“ラジオ向け”に書かれたとされるポップソングである。
しかしその音楽性は、やはりノラらしく、ジャズ、ソウル、フォークの要素を滑らかに融合させた独自のトーンに貫かれており、耳なじみの良さと、言葉にならない感情の滲みを両立している。
歌詞は、過去の恋愛を思い出してしまう気持ちを静かに描いている。“今もあなたのことを思っている”という一見ストレートなテーマながら、その中には時間の経過、傷の癒え方、忘れられない記憶との向き合い方といった、複雑な心の動きが丁寧に織り込まれている。
決してドラマチックに語られるわけではないが、それが逆にリアルだ。日々の生活の中でふと誰かを思い出してしまう瞬間──そのさりげなさと胸の痛みが、この曲には漂っている。
2. 歌詞のバックグラウンド
「Thinking About You」は、ノラ・ジョーンズが高校時代からの知人であり長年の共作者でもあるリー・アレクサンダーと共に書き下ろした作品で、もともとは彼女のデビューアルバム『Come Away with Me』用に作られた楽曲だった。
しかし当時は「まだ完成されていない」という理由で録音が見送られ、数年の時を経て、『Not Too Late』での録音・発表となった。結果として、この楽曲は2000年代のノラにおける“再出発”の象徴ともなり、彼女の音楽性がよりポップかつ多様な方向へと広がりを見せるきっかけとなった。
サウンド面では、オルガンやホーンを交えたソウルフルなアレンジが施されており、どこか1960年代のモータウン・サウンドを思わせるレトロな質感がある。それと同時に、ノラの柔らかく、どこか憂いを帯びたヴォーカルが乗ることで、ノスタルジーと新しさが共存する仕上がりとなっている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Norah Jones “Thinking About You”
Yesterday I saw the sun shining
昨日、太陽が輝いているのを見たAnd it made me think of you
そして、あなたのことを思い出したのAnd the night came and I started to cry
夜になって、泣きたくなったYou’re always on my mind
あなたのことが、ずっと頭から離れない
ここでは、ごく日常的な風景の中から、過去の記憶がふと蘇る様子が描かれている。その描写はシンプルながらとても映像的で、聴き手自身の記憶と自然に重なる力を持っている。
I’m thinking about you
私は今もあなたのことを考えてるAnd I can’t stop
止めようとしても、止められない
このサビの繰り返しには、未練というよりもむしろ“諦念”のようなものが感じられる。感情は整理しきれないまま、ただ静かにそこにあり続けている──その姿勢が、ノラらしい。
4. 歌詞の考察
「Thinking About You」は、愛の余韻と、記憶の持つ重さを描いた楽曲である。恋愛の終わりにおいて、“忘れる”ことが癒しになるのか、それとも“覚えておく”ことが強さになるのか──この曲は明確な答えを提示しない。
むしろ、その問いをそっと差し出すだけである。
この歌の語り手は、相手を責めることも、自分を責めることもせず、ただ心の中に今も残る感情を認めている。
過去の恋が“今も自分の一部である”ということを、静かに受け入れているようにすら聴こえる。
また、「太陽」や「夜」といった自然のイメージを通じて、記憶や感情の移ろいを表現している点も印象的だ。それは、誰かの名前を直接呼ばずとも、感情の奥行きや時間の経過を描くノラの詩的な技法であり、彼女の歌詞が“聴き手の物語”にもなり得るゆえんである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Come Away with Me by Norah Jones
同じく静けさの中に深い情感を秘めたバラード。恋愛の始まりと希望が描かれている。 - Lonestar by Norah Jones
距離と孤独、心の欠片を詩的に綴った一曲。切なさの質感が共通している。 - Photograph by Ed Sheeran
思い出を大切に抱えながら前を向こうとするバラード。日常と記憶が交差する描写が美しい。 - Dreams by Fleetwood Mac
恋の終わりとその後の心情をミニマルなアレンジで綴る、永遠の失恋アンセム。 - Lost Cause by Beck
あきらめと受容の中に、未練と哀愁が漂う一曲。心の波が似ている。
6. 静かな記憶の風景:ノラ・ジョーンズと“思い出す”ことの力
「Thinking About You」は、恋愛の余韻に身を委ねながらも、そこから逃げることなく、じっと“思い出す”という行為に身を置いている。それは、忘れようともがくよりも、はるかに勇気のいる行為かもしれない。
ノラ・ジョーンズの歌声は、決して大声では語らない。しかしその低く、柔らかな響きには、人の心のひだに触れる静かな力がある。この曲では、“思い出す”という行為の中にある優しさと痛み、そして人生のリアリティを、飾らずに提示している。
思い出すことは、時に苦しく、時に美しい。それは、今ここに自分がいることの証でもある。「Thinking About You」は、そんな記憶と感情の交差点にそっと灯りをともすような、静かな祈りのような楽曲である。
そしてそれは、今も誰かの胸の奥で、静かに鳴り続けているのだ。
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