
発売日: 2016年6月3日
ジャンル: アート・ポップ、エクスペリメンタル、フォークロック、ワールド・リズム、ミニマル・ミュージック
『Stranger to Stranger』は、Paul Simon が2016年に発表したアルバムである。
前作『So Beautiful or So What』(2011)で後期の円熟を高らかに示したポールは、
ここでさらに深い方向へ進み、
“音”そのものを探求する姿勢 を前面に出した。
制作にあたり、ポールが強く刺激を受けたのが
20世紀アメリカの実験音楽家 Harry Partch(ハリー・パーチ) の世界である。
パーチは西洋音階とは異なる“純正律(ジャスト・イントネーション)”を探求し、
世界に一つしかない自作楽器を用いたことで知られている。
ポールはその思想に共鳴し、
米ニュージャージー州の“ハリー・パーチ楽団”の協力を得て
本作に特殊な音響素材を取り入れた。
さらに、
- ミニマルミュージック的反復
- アフリカ/ラテン系リズムの変形
- 電子音のごく繊細な配置
が混ざり合い、
ポールのキャリアにおいて最も“遠くへ行った”サウンドが誕生した。
テーマは、
- 老いと身体
- 近代社会の混乱
- コミュニケーションの断絶
- 霊性と日常
- 逸脱した世界への驚き
など、深い視野とユーモアが入り混じる。
アルバム全体は短く、実験的でありながら、
“聞きづらさ”よりも“異様な心地よさ”が勝る、
ポール晩年の傑作のひとつである。
全曲レビュー
1曲目:The Werewolf
パーチ楽器の不規則なリズムと、
現代社会の混乱を寓話として描く歌詞が印象的。
ユーモアと不穏さが混ざる、強烈なイントロダクション。
2曲目:Wristband
ライブから締め出されたミュージシャンの話から、
“分断と格差”を象徴的に描く傑作。
軽やかだが痛烈で、ポールの語りの鋭さが際立つ。
3曲目:The Clock
不穏なパーカッションと静かな反復が中心の小品。
時間と存在を考えさせるインタールード的曲。
4曲目:Street Angel
精神的混乱を抱える男性を描いた物語曲。
リズムの重ね方が驚くほど複雑で、
ポールの晩年の“ストリート観察者”としての視線が鮮明。
5曲目:Stranger to Stranger
タイトル曲。
美しく浮遊するメロディと繊細なギター、
周囲の音空間の広がりが極めて美しい。
“世界が他人のように感じられる”感覚を詩的に表す。
6曲目:In a Parade
混沌としたビートと、皮肉の効いた語りが交錯。
現代の情報と混乱をパレードにたとえた実験的トラック。
7曲目:Proof of Love
後期ポールの核心にある“優しい哲学”が宿るバラッド。
ストレスや喪失の後に見える愛のかたちを静かに描く。
8曲目:In the Garden of Edie
アコースティック主体の穏やかな曲。
日常の静けさと小さな幸福を描く、美しい呼吸のような一曲。
9曲目:The Riverbank
軍人の葬儀を題材にした重いテーマの曲。
社会と個人の痛みを見つめる、ポールの深い観察力が光る。
10曲目:Cool Papa Bell
野球選手“クール・パパ・ベル”を題材にしたユーモラスな楽曲。
軽やかだが、歴史への敬意とノスタルジーが潜む。
11曲目:Insomniac’s Lullaby
不眠に悩む語り手を描く、異様に美しいエンディング。
静かなギターと微細な音響が“夜の深い孤独”を包み込む。
総評
『Stranger to Stranger』は、
Paul Simon 晩年の創作意欲と探究心を、
最も大胆な形で示したアルバムである。
特徴をまとめると、
- ハリー・パーチ由来の“純正律の混沌”を大胆に導入
- ミニマル・リズムとフォークの融合
- 社会批評と私的世界の絶妙なバランス
- 静かな実験精神と、深く濃い詩的世界
- 高齢にしてなお更新される音楽的好奇心
同時代の作品と比較するなら、
・David Byrne の実験的アートポップ
・Tom Waits の後期の変則的音響
・Beck『Morning Phase』の静謐と実験のバランス
に近い視点もあるが、
ポールは常に“透明な語り”と“軽やかなユーモア”を保ち続ける。
結果として本作は、
“晩年の実験作でありながら、深く聴きやすい”
という稀有なバランスを成し遂げている。
おすすめアルバム(5枚)
- So Beautiful or So What / Paul Simon (2011)
後期ポールの精神性と詩世界の核心が理解できる。 - Surprise / Paul Simon (2006)
電子音とフォークの融合という実験性が本作の前段階。 - The Rhythm of the Saints / Paul Simon (1990)
複雑なリズム構造と文化的探求の源流。 - David Byrne & Brian Eno / My Life in the Bush of Ghosts
実験的リズム×物語性の文脈が近い。 - Harry Partch / Delusion of the Fury
本作の音響世界を理解する上での重要な参照点。
制作の裏側(任意セクション)
ポールは60代後半に差し掛かっていたが、
“人生で一度も触れたことのない音”を求め、
ハリー・パーチの世界に深く潜った。
純正律を奏でる特製楽器——
Cloud Chamber Bowls、Kithara、Diamond Marimba など——
を実際に録音し、それを楽曲の骨格として組み立てた。
また、プロデューサーの Roy Halee(S&G 時代からの盟友)が
音響の整理と空間設計を担当し、
実験的でありながら“ポールの歌が聞こえる”バランスに仕上げた。
結果として本作は、
晩年にしてなお進化を続ける
ポールの創作哲学の結晶となった。



コメント