
発売日: 1989年10月(EP)
ジャンル: ドリームポップ、ノイズポップ、ポストパンク、インディーロック
輪郭のない衝動、色彩のない夢——Lush、少女たちのフィードバック・サージから始まった“霧の旅”
『Scar』は、Lushが1989年にリリースしたデビューEPであり、のちに“ショーゲイザー”というムーブメントに取り込まれていく彼女たちが、最初に放った“白昼夢のざわめき”である。
当時のロンドン・インディー・シーンでは、Cocteau TwinsやThe Jesus and Mary Chain、Sonic Youthなどの影響下で“メロディ×ノイズ”の美学が拡張されており、Lushもその潮流の中に現れた。
しかしLushの特異性は、ノイズの中に潜む“少女性”と“透明感”——つまり、暴力的でありながら、どこか無垢で傷つきやすい感情のトーンがあったこと。
Miki BerenyiとEmma Andersonによるツイン・ボーカルは、時に囁き、時に刺すように響き、その声はギターの波の中でもはっきりとした影を残す。
全曲レビュー
1. Baby Talk
本作の冒頭を飾る鮮烈なナンバー。不穏なコード感と甘く鋭いヴォーカルが交錯し、少女が放つ皮肉混じりの挑発が響く。
2. Thoughtforms
後のLushサウンドの原型が見える重要曲。サイケデリックなギターと気怠いメロディが、“考えの形”という曖昧なタイトルと絶妙にリンクする。
3. Scarlet
EPタイトルの由来にも通じる“傷跡”のイメージ。情緒不安定でロマンチックな感情を、繊細なコード進行とサイレンのようなギターが彩る。
4. Bitter
直情的なギターと疾走するビート。“ほろ苦さ”を通り越した切迫感があり、ライブ感のあるエネルギーに満ちている。
5. Second Sight
憂鬱なアルペジオと沈むようなヴォーカルが印象的。未来のLushが志向するドリーミーな陰影の萌芽が感じられる。
6. Etheriel
のちの1stアルバム『Spooky』にも収録される代表曲。霧の中で反響するようなサウンドスケープが、彼女たちの“靄の中の歌”を象徴する。
総評
『Scar』は、Lushというバンドが“音の傷跡”を刻むことで始まったことを象徴する作品であり、その未完成な美しさと衝動こそが彼女たちの存在意義だったと言える。
本作はEPでありながら、その短さの中にノイズ、夢、痛み、やさしさ、怒り、そして少女たちの生々しい輪郭が詰まっている。
このサウンドはまだ“ショーゲイザー”とは呼ばれていなかったが、すでにその核がここにはあった。
それは靄の中で叫ぶ声であり、スピーカーの奥で泣いているギターだったのだ。
おすすめアルバム
- Isn’t Anything / My Bloody Valentine
“前ショーゲイザー時代”のマイルストーン。荒さと繊細さの同居。 - Garlands / Cocteau Twins
冷たくも耽美なサウンドが、Lushの幻想性のルーツとなる。 - Daydream Nation / Sonic Youth
ノイズと構造美がせめぎ合う、Lush的衝動の源泉。 - Sunburn / Chapterhouse
よりメロディ志向のショーゲイザー。Lushの後継的感覚。 - Heaven or Las Vegas / Cocteau Twins
透明感と夢幻の極致。Lushの“夢の先”を映すもうひとつの理想形。
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