
発売日: 1979年10月19日
ジャンル: ファンク、R&B、ポップ、ディスコ
概要
『Prince』は、プリンスが1979年に発表したセカンド・アルバムであり、
彼のキャリアにおいて初めて“プリンス・サウンド”が確立された作品である。
前作『For You』(1978)は緻密な多重録音と繊細なサウンドメイキングで知られたが、
本作ではよりシンプルで肉体的なグルーヴに重心が移り、
のちに“ミネアポリス・サウンド”と呼ばれる独自の音楽様式の礎が築かれた。
全曲の作詞・作曲・演奏・プロデュースを再び単独で手がけ、
わずか21歳の青年が完全なるオーサー(Auteur)型アーティストとしての地位を確立した。
レコード会社からは「シングル向けのキャッチーな曲を」というプレッシャーもあったが、
プリンスは自らのスタイルを貫き、
結果として“アーティストとしての自由と大衆性”を同時に手に入れることになる。
本作には初の全米トップ20ヒット「I Wanna Be Your Lover」が収録され、
その成功によってプリンスは単なる若手ソウルシンガーではなく、
新しい時代を告げるポップ・アイコンとして認知され始めた。
全曲レビュー
1曲目:I Wanna Be Your Lover
軽快なファンク・グルーヴに乗せて、
“君の恋人になりたい”というシンプルな欲望をストレートに歌う。
シンセベースの跳ねるリズム、ファルセット・ヴォーカルの甘美なトーン、
そして後半のインスト・ジャム――すべてが完璧に構築されている。
本作最大のヒット曲であり、プリンスの代名詞となる“官能的ファンク”の出発点だ。
2曲目:Why You Wanna Treat Me So Bad?
ギター・リフが際立つロック寄りのファンク・ナンバー。
恋人からの冷遇を嘆く歌詞に、若きプリンスのエゴと脆さが滲む。
ギター・ソロでは、すでに『Purple Rain』を予感させる激情的なトーンが聴ける。
R&Bとロックを自在に横断する彼の資質がはっきりと現れた一曲だ。
3曲目:Sexy Dancer
ミニマルなビートと繰り返されるベース・ラインが生み出すダンス・トラック。
ボーカルは最小限に抑えられ、サウンドの躍動そのものが“セクシーさ”を表現している。
ディスコ以降の時代において、機械的なリズムの中に有機的なエロスを注入した革新的トラック。
4曲目:When We’re Dancing Close and Slow
ゆったりとしたテンポのスロウ・バラード。
恋人と踊る密やかな夜の情景が描かれ、プリンスのロマンティックな側面が際立つ。
後年の『Do Me, Baby』(1981)や『Adore』(1987)へと続く、“官能的スロウ”の原型である。
5曲目:With You
甘く繊細なメロディが印象的なラブソング。
プリンスの声のコントロールが格段に向上しており、
彼のヴォーカリストとしての力量を示す一曲。
シンプルな構成ながら、コーラスワークの美しさが光る。
6曲目:Bambi
本作中もっともロック色の強いナンバー。
歪んだギター・リフと高音シャウトが炸裂する、ハードな演奏。
“女性同士の恋愛を描いた”とされる挑発的な歌詞が議論を呼び、
初期プリンスの性表現がすでに過激であることを示した。
そのサウンドはジミ・ヘンドリックスの系譜に連なるが、より現代的でクリーンだ。
7曲目:Still Waiting
アコースティック・ギターが印象的なフォーク調のミディアム・テンポ。
“愛を待ち続ける”という素朴なテーマながら、
孤独と希望の入り混じる感情が繊細に描かれている。
R&Bの枠を超えた普遍的なポップソング。
8曲目:I Feel for You
プリンスの作曲能力の高さを示す一曲。
後にチャカ・カーンによるカバー(1984)が世界的ヒットとなるが、
オリジナルはより滑らかでメロウな仕上がり。
恋愛のときめきを、抑えたヴォーカルで描く初期の傑作である。
9曲目:It’s Gonna Be Lonely
アルバムのクロージングを飾る感傷的バラード。
“君がいなければ孤独だ”という直球の愛の表現が、
若きプリンスの誠実さと脆さを象徴している。
美しいファルセットと緻密なコーラスワークが心に残る。
総評
『Prince』は、デビュー作の実験的要素を整理し、
“シンプルでセクシャル、そしてポップなファンク”というプリンスのスタイルを確立した重要作である。
サウンド面では、リズム・マシンとシンセベースを中心に据えた構成が特徴的で、
のちのミネアポリス・サウンドの基盤となる。
一方で、ギターを全面に出した「Bambi」など、ロックの要素も果敢に取り入れ、
既存のR&Bアーティスト像を打ち破る野心が随所に見られる。
歌詞のテーマは一貫して“愛と欲望”。
だが、そこには単なる性愛ではなく、アイデンティティの探求という文脈が潜む。
異性・同性愛、黒人・白人、男・女――あらゆる境界を曖昧にし、
“自分の中のすべてを肯定する”という思想がすでに芽吹いている。
このアルバムを通じて、プリンスは“既存のジャンル”ではなく、
プリンスというジャンルそのものを創り上げた。
それはまだ荒削りながらも、圧倒的な個性と確信に満ちている。
おすすめアルバム(5枚)
- Dirty Mind / Prince
セクシュアルなテーマとミニマルなファンクを極めた次作。革命的転換点。 - 1999 / Prince
本作の延長線上にある80年代ファンクの完成形。 - Controversy / Prince
社会的テーマとポップ性の融合を果たした過渡期の傑作。 - Songs in the Key of Life / Stevie Wonder
プリンスが影響を受けたスティーヴィー的自己完結型音楽の典型。 - Off the Wall / Michael Jackson
同時期にリリースされたポップ・ファンクのもう一つの頂点。 
制作の裏側
録音はミネアポリスとロサンゼルスで行われ、
プリンスは再び全楽器を自ら演奏。
制作環境には最新のシンセサイザー(Oberheim、Arp、Polymoogなど)を導入し、
独自の音響世界を構築した。
レコード会社ワーナー・ブラザースは、
よりラジオフレンドリーな楽曲を求めていたが、
プリンスは自身の感性に忠実であることを選んだ。
結果的に「I Wanna Be Your Lover」の成功が、その姿勢を正当化した。
このアルバムのヒットにより、プリンスは完全なクリエイティブ支配権を得ることになる。
その後の実験的キャリアは、ここから始まったのだ。
歌詞の深読みと文化的背景
1979年はディスコが商業的ピークを迎える一方で、
黒人音楽が多様化しつつあった時期。
そんな中、プリンスは“ファンクの未来”を提示した。
“I Wanna Be Your Lover”のストレートな愛の告白は、
単なる恋愛ソングではなく、“自分が誰かを求める勇気”の表現でもある。
“Bambi”では性の境界を超えるテーマを扱い、
社会的タブーに挑むアーティストとしての姿勢を明確にした。
つまり本作は、恋愛・性・自由の三位一体を音で表現した作品であり、
それが後のプリンスの哲学を形づくることになる。
ビジュアルとアートワーク
アルバム・ジャケットには、上半身裸のプリンスが輝く肌を晒し、
セピア色の照明の中で妖艶な眼差しを向けている。
このビジュアルは、黒人男性アーティスト像の固定観念を打ち破り、
中性的かつ神秘的な存在としての“プリンス像”を世に知らしめた。
それは単なるポートレートではなく、
「ジェンダーと人種を超越するアイコン」としての自己宣言でもある。
『Prince』は、まだ若き天才が“自分という音楽”を見つけた瞬間を記録した作品である。
すべての要素――愛、欲望、グルーヴ、孤独、自由。
そのすべてがここで初めて一つの言語=プリンス語として鳴り始めたのだ。

  

コメント