発売日: 2018年6月8日
ジャンル: エレクトロ・ポップ、ダンスホール、R&B、オルタナティヴ・ポップ、アコースティック・ポップ
概要
『No Shame』は、リリー・アレンが2018年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、“自己開示”と“音楽的内省”を軸に据えた彼女の最もパーソナルな作品である。
前作『Sheezus』(2014年)では、社会的メッセージとポップの商業性がせめぎ合い、批評的には賛否が分かれた。
その反省を踏まえて本作では、自身の離婚、母親としての葛藤、アルコールや人間関係の問題をストレートに綴るなど、歌詞の内容がより赤裸々に。
また、プロダクションはトラップやエレクトロニカ、ダンスホールなどを取り入れつつも、低音を抑えたミニマルで開かれた空間的サウンドが特徴で、
従来の“皮肉屋ポップ・ガール”というイメージから一線を画す、静かな告白と回復のプロセスを描いた作品となっている。
UKや米国の批評家からも高く評価され、**「過去最も成熟したLily Allen」**と称された。
全曲レビュー
1. Come On Then
オープニングから鋭い自己防衛が炸裂する一曲。
SNSやメディアによるパブリックイメージへの苛立ちを、「じゃああなたが私になってみなさいよ」と挑発するフレーズで表現。
ストリップダウンされたビートと大胆なリリックが対照的なパンチライン・ポップ。
2. Trigger Bang(feat. Giggs)
ギャングスター・ラップを皮肉るGiggsとの共演。
リリーは“引き金”を手放し、“過去を切り離していく”過程を語る。
中毒や人間関係の断捨離をビートと共に静かに昇華する。
3. What You Waiting For?
自己肯定のための静かな問いかけ。
「準備はできているのに、なぜ一歩が踏み出せないのか?」というリリックは、彼女自身だけでなくリスナーにも届く普遍性を持つ。
4. Your Choice(feat. Burna Boy)
アフロ・ポップ的なリズムと浮遊感あるメロディが心地よい一曲。
リレーションシップにおける“選択”の重さと軽さを、交差する男女視点で描き出す。
5. Lost My Mind
情緒的なコード進行とエレクトロニカなトーンで、“心を失うほどの関係”を描く。
不安定な恋愛関係における自己喪失を繊細に描写する、アルバム随一のエモーショナル・トラック。
6. Higher
ドラムレスのミニマルな構成が印象的なナンバー。
リリーが“精神的に高くなりたい”と願う言葉が、依存と救済のはざまに揺れる。
7. Family Man
アコースティック・ギターとともに綴る、離婚後の家族のカタチに向き合うラブレター。
感情を振り切るのではなく、“未練と誠実さ”が混ざり合った余韻の美しさが心に残る。
8. Apples
過去と現在の自分を見つめ直す一曲。
「親と同じような道を歩いていることに気づいた時の葛藤」がテーマで、世代間の連鎖という大きな問いを繊細なメロディで提示する。
9. Three
自分の娘の視点で歌われる異色のバラード。
「ママ、どうしていつも出かけてるの?」というシンプルな疑問に、涙腺を刺激される。
母であること、アーティストであること、その矛盾を静かに抱え込んだ傑作。
10. Everything to Feel Something
アルコール、虚無、刹那――すべてを「何かを感じるため」に繰り返すという告白的ナンバー。
儚さと絶望が混ざる、本作の感情的ピークとも言える曲。
11. Waste(feat. Lady Chann)
恋の無意味さと快楽主義を、ダンスホール調のビートに乗せて。
重くなりすぎないテンションで、“捨ててもいい感情”をテーマにする軽やかな脱力ポップ。
12. My One
ゆるやかなダンス・トラックにのせて、「あの人が私の運命の人かも?」と迷う恋心を描く。
過去のトラウマを越えた、その先の希望を感じさせる。
13. Pushing Up Daisies
再び誰かを好きになることの不安と喜び。
“恋は死のようなもの”とささやきながら、そこに差し込む光を見出す。アルバム終盤にふさわしい“再生の歌”。
14. Cake
女性の自己肯定と社会的役割についての風刺を込めたクローザー。
「私はケーキも食べるし、それでも美しいの」と宣言する、静かなフェミニズムのアンセム。
総評
『No Shame』は、リリー・アレンというアーティストが、社会批評や恋愛の毒舌から、自己開示と心の修復へと軸足を移した“第二のデビュー”とも言える作品である。
これまでの作品と違い、怒りや皮肉が表出するのではなく、感情がそのまま空気のように流れている。
その空気感は、ビートにも、声の輪郭にも、歌詞の隙間にも現れ、「誰かに聴かせるための音楽」から「自分のための音楽」へと変化した痕跡が残されている。
同時代のアーティスト、たとえばロビン、ジェイムス・ブレイク、ローラ・マーリングらが歩んできた“感情の内省と音のミニマリズム”の道筋に、
リリー・アレンもまた静かに並んだことを示す、成熟と再構築のマイルストーンである。
おすすめアルバム(5枚)
- Robyn『Honey』
ポップの中に深い孤独と自己再生を詰め込んだ、ダンスと涙のアルバム。 - James Blake『Assume Form』
感情の重さをサウンドで浮かせるように描いた、男性版『No Shame』的作品。 - Jorja Smith『Lost & Found』
現代的なR&Bとパーソナルなテーマを融合。静かな強さが共鳴する。 - Lana Del Rey『Norman Fucking Rockwell!』
アメリカン・アイコンと個人の崩壊を同時に描く、自己神話化の逆説。 -
FKA Twigs『Magdalene』
痛みと自己再構築を芸術的に描いた、ポスト・ポップの最前線。
歌詞の深読みと文化的背景
『No Shame』に込められた歌詞の数々は、**“母であり、女であり、アーティストであることの矛盾と模索”**を描いている。
たとえば「Three」では、娘に対して“仕事を選ぶこと”への葛藤が描かれ、「Family Man」や「Apples」では、自身の親との関係性が、現在の自分をどう形作ったかが静かに綴られる。
また、「Come On Then」や「Trigger Bang」では、SNSとメディアによって消費される“リリー・アレン像”への反撃が行われているが、
それも怒りではなく、“語ることによって自分を取り戻す”という成熟した行為として描かれている。
『No Shame』は、名声や成功の裏側にある孤独や後悔、そしてそこから這い上がるための音楽であり、
それを決して美談にせず、でも恥ともせず、淡々と差し出す強さがこのアルバムにはある。
“恥を超えた場所でしか、人はほんとうのことを語れない”――
リリー・アレンは、そこに到達したのだ。
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