
発売日: 2022年3月25日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、エレクトロニック・ロック、ダークウェイヴ
概要
『Never Let Me Go』は、Placebo が2022年に発表した8作目のスタジオ・アルバムである。
前作『Loud Like Love』(2013年)から実に9年ぶりとなるフルアルバムであり、長い沈黙を破ったバンドがどのようなモードへ突入したのかを示す重要作となった。
この9年間、世界は大きく変化した。
SNSの加速、ポピュリズムと分断の拡大、パンデミック、監視社会の強化、環境問題の深刻化。
『Never Let Me Go』は、こうした“現代の不安と歪み”を正面から受け止め、それを音と歌詞で描き出す、強く政治性を帯びた作品である。
サウンド面では、ギターとエレクトロニクスが有機的に絡み合い、
- 厚みのあるノイズ
- ディストピア的シンセ
- 重層的なボーカル
- 不穏なベースライン
がアルバム全体を覆う。
従来の Placebo が持っていた“ダークで耽美な質感”は継承しつつも、今作はより冷たく、現代的なインダストリアル感覚を強く滲ませている。
また、メンバーチェンジを経たバンドは、ブライアン・モルコとステファン・オルスダルの2人によるユニット的な形態へと深化しており、その分だけ音の構築はよりストイックでシャープだ。
人類の未来への不安、孤独、政治的狂気、そして逃避への誘惑——こうしたテーマを容赦なく突きつける点は、まさに“2020年代の Placebo”と呼ぶべき方向性なのである。
全曲レビュー
1曲目:Forever Chemicals
重厚でざらついたギターと電子ノイズがアルバムの幕を開く。
“永遠に残り続ける化学物質”というタイトルは、環境汚染や身体への毒素を暗喩しつつ、個人の心にこびりつく過去や依存の残滓とも重なる。
最初の一撃から、今作が“社会と個人の両面の闇”を扱うことが明確になる。
2曲目:Beautiful James
先行シングルとして発表され、物議を醸した楽曲。
ジェンダーやセクシュアリティに関する固定観念を挑発し、偏見に対する静かな反抗を描く。
浮遊感あるシンセのレイヤーと、メロディアスなサビが強く耳に残る、モダンな Placebo の象徴的な一曲だ。
3曲目:Hugz
ポップなメロディの下に、自己破壊的な恋愛関係を皮肉的に描く歌詞が潜む。
「ハグではなく傷を求めてしまう」ような倒錯した感情を、ビート強めのアレンジで包み込み、病的な魅力を放つ。
4曲目:Happy Birthday in the Sky
ゆっくりと立ち上がる悲しげなバラード。
亡くなった大切な人に捧げられた曲と言われ、喪失と向き合う静かな祈りに満ちている。
ノイズとストリングスの淡い重なりが、胸に迫る寂寥感を生む。
5曲目:The Prodigal
帰ってきた者、戻ってきた者というテーマを抱えた曲。
控えめなアレンジで始まり、サビでは一気に感情が噴き上がる構成が美しい。
傷ついた者が再び立ち上がろうとする姿を描いた、アルバム内でも重要な位置を占める一曲だ。
6曲目:Surrounded by Spies
本作の政治性を象徴する曲。
監視社会への嫌悪、個人情報の侵食、SNSによる“常に見られている感覚”を鋭い言葉で突きつける。
不安を煽るようなベースラインと無機質なシンセが、現代のディストピアを生々しく音像化する。
7曲目:Try Better Next Time
地球環境の悪化をテーマにした、一種の“終末ポップ”。
「次はもっとマシになれるかもしれない」という皮肉混じりのメッセージは、諦念と希望の狭間を揺れ動く。
軽やかさの裏に深い問題意識を忍ばせるバランス感覚が、Placebo 的哲学をよく表している。
8曲目:Sad White Reggae
挑発的なタイトルを持つ風刺曲。
政治的ポーズだけの白々しい“社会正義ムーブメント”を揶揄し、その浅さや欺瞞を暴く。
グルーヴの効いたリズムが軽快だが、内容は徹底的に辛辣である。
9曲目:Twin Demons
“自分の中にいる二つの悪魔”を扱った曲。
破壊的衝動と理性の衝突を、ノイズとダンスビートの混合で描く。
アルバム中でも特に緊張感の高いナンバー。
10曲目:Chemtrails
陰謀論をモチーフにしながら、情報の捏造や政治的洗脳に対するメタファーとして機能する。
空気の濁った世界を思わせるサウンドが、テーマに強く寄り添う。
11曲目:This Is What You Wanted
静かに始まり、感情が少しずつ積もり上がる曲。
“望んだはずの結果が、実は破滅への道だった”という皮肉と悲しみが滲む。
抑制されたアレンジが深い余韻を残す。
12曲目:Went Missing
迷子になる感覚、自分が自分でなくなる感覚を描くダークトラック。
ベースの脈動が、心拍のように緊張を生む。
13曲目:Fix Yourself
アルバムの締めくくりを飾る、内省的でありながら希望を感じさせる曲。
タイトル通り“自分を修復しろ”という厳しいメッセージを、自分自身に向けて投げかける。
ここで示されるのは、外部世界への絶望ではなく、内面の再構築への道筋である。
総評
『Never Let Me Go』は、Placebo が“現代の痛み”に真正面から取り組んだアルバムである。
90年代・00年代の Placebo は個人的な傷や依存を核にした作品が多かったが、今作では個人の痛みが“社会構造そのものの歪み”と接続されている。
本作が示す新しい方向性
- 政治性・社会批評の明確化
- ディストピア的なモチーフの強化
- ノイズとシンセを主体としたモダンなエレクトロロック
- 2名体制の硬質でミニマムなサウンド構築
こうした点は、前作からの大きな飛躍を示している。
同時代のアーティストで言えば、
Nine Inch Nails の冷たい電子的ダークネス、
Depeche Mode の宗教性と政治性、
Massive Attack の闇と静寂の美学、
The xx のミニマリズム、
Radiohead の社会批評的な視線、
といった要素と重ねて語られることも多い。
しかし Placebo は、ジェンダーの揺らぎ、個人的な痛みの物語性、陰影の多いポップセンスを組み合わせることで、独自の磁場を作り上げている。
『Never Let Me Go』は、その磁場が2020年代特有の空気と融合した瞬間を捉えた唯一無二の記録なのだ。
アルバムとしての強さ
- 一貫したテーマ性
- 曲ごとの個性と、通して聴いた時の流れの強さ
- “怒り・喪失・孤独”の奥にある繊細な美しさ
- 世界の変化を受けて成熟した歌詞世界
こうした要素が重なり、Placebo にとって再出発にふさわしい力強い作品となった。
おすすめアルバム(5枚)
- Loud Like Love / Placebo
直前作。ポップ寄りの質感と比較することで、9年間の変化の大きさがよく分かる。 - The Fragile / Nine Inch Nails
ノイズと美しさが入り混じる音像が共通し、より深い比較ができる。 - Spirit / Depeche Mode
社会批評性の強いエレクトロ/ダークロックとして好相性。 - Mezzanine / Massive Attack
冷たい空間性と暴力性のある音響が、同系統の退廃美を持つ。 - A Moon Shaped Pool / Radiohead
現代の不安を内省と詩的表現で昇華した作品として響き合う。
歌詞の深読みと文化的背景
『Never Let Me Go』は、2020年代の社会状況そのものを反映した作品であり、
以下のテーマが根底に流れている。
- 監視社会への恐怖(「Surrounded by Spies」)
- 環境破壊とポスト人類的視線(「Try Better Next Time」)
- 喪失と弔い(「Happy Birthday in the Sky」)
- ジェンダー/アイデンティティの揺らぎ(「Beautiful James」)
- 倫理なき情報社会への皮肉(「Sad White Reggae」)
これらは、単なる物語や個人的な心情ではなく、現代に生きる誰もが共有する不安の象徴でもある。
さらに、Placebo の核である“個としての痛み”が、今回は“世界の痛み”と密接につながっており、
その意味で『Never Let Me Go』は、過去作よりもはるかにスケールの大きい作品になっている。
引用
- アルバム基本情報(リリース年、バンド再編後の作品であること)
- 公式トラックリストおよびシングル「Beautiful James」などに関する公表情報
- ブライアン・モルコの発言(現代社会への懸念、監視社会に関するコメント)
- 一般に共有されている批評傾向(ポリティカルでディストピア的な作品とされる点)



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