
発売日: 2016年10月21日
ジャンル: オルタナティブR&B、エレクトロ・ヒップホップ、アジアン・フュージョン
概要
『Identity』は、Far East Movementが2016年にリリースしたサード・アルバムであり、その名の通り「アイデンティティ=自己認識」を真正面から問うた意欲作である。
彼らにとって『Dirty Bass』以降の沈黙と模索の時期を経て辿り着いたこの作品は、単なる音楽的進化ではなく、「アジア系アメリカ人としての存在証明」であり、音楽と文化、個人と社会の交差点に立つ“マニフェスト”のようなアルバムである。
アジア各国のアーティスト(Yoon Mirae、Jay Park、Hyolyn、Chanyeol、王嘉尔/Jackson Wangなど)とコラボし、英語とアジア言語が自然に入り混じる構成は、言語やジャンルの壁を越えた越境的サウンドの象徴ともなった。
加えて、トラックはR&B、オルタナティブ・ヒップホップ、アンビエント・エレクトロなど多様なサウンドを内包し、EDM時代に名を馳せた彼らのイメージを大胆に覆す。
『Identity』は、メインストリームにおける消費的な成功ではなく、自らのルーツと文化的責任を見つめ直し、それをアートとして昇華させた、キャリアにおけるターニングポイントとなった作品である。
全曲レビュー
1. Identity (feat. Yoon Mirae, Bibo)
タイトル曲にふさわしい重厚なサウンドと、R&Bと語りの融合。
Yoon Miraeによる韓国語のラップが、アイデンティティの分裂と再構築をリリカルに描く。
2. Freal Luv (feat. Tinashe, Marshmello & Chanyeol)
Tinasheのソウルフルなボーカルと、EXOのChanyeolによる韓国語ラップが交差する、感情豊かなラブソング。
Marshmelloの柔らかくも跳ねるビートが、夜の都市感を添えている。
3. Double Dip (feat. Soulja Boy)
Soulja Boyとの意外性のあるコラボ。クラブライクなトラックながら、FMらしい遊び心が前面に出ている。
“二度付け”をテーマにしたユーモラスなラップが印象的。
4. Don’t Speak (feat. Tiffany)
少女時代のTiffanyを迎えたエレクトロR&B。繊細で傷つきやすい関係性を、浮遊感のあるサウンドで描く。
言葉を失うほどの痛み、というテーマが静かに胸に迫る。
5. Church (feat. Elijah Blake)
内省的なスローバラード。Elijah Blakeのゴスペルライクなボーカルと教会をモチーフとした歌詞が重なる。
罪と赦し、祈りと孤独が交錯するトラック。
6. Umbrella (feat. Hyolyn & Gill Chang)
SistarのHyolynによる伸びやかなボーカルと、Gill Changによる繊細なプロダクションが融合。
雨と傘を象徴とした「心のシェルター」の物語が美しく響く。
7. SXWME (feat. Jay Park & Loco)
韓国ヒップホップの重鎮たちと共演した攻撃的トラック。”Sex with me”をモチーフにした挑発的な一曲。
ラテン風味のリズムとトラップの混成が印象的。
8. Forever Survivor (feat. Macy Gray)
ソウルの女王Macy Grayとのコラボ。唯一無二のハスキーボイスが、「生き延びる者」というテーマに深みを与える。
逆境を超えた先にある誇りと尊厳が表現されている。
9. Misfits (feat. MIKNNA)
オルタナティブR&Bとヒップホップのクロスオーバー。
「ミスフィット=社会に馴染めない者たち」に向けたアンセム的メッセージが胸を打つ。
10. Fortress (feat. MNEK)
イギリスのシンガーMNEKとの共作。エレガントなボーカルが、「守られる心=フォートレス」のメタファーと美しく絡む。
内面の弱さを肯定するような優しいトーンが印象的。
11. Ghost (feat. Zhu & Dumbfoundead)
闇夜を彷徨うようなミニマルなトラック。ZHUの幻想的なサウンドに、Dumbfoundeadのラップが冷静かつ鋭く突き刺さる。
「幽霊のような存在感」=社会的な不可視性をテーマにした、深層的な一曲。
12. Adrenaline (feat. Candice Pillay)
南アフリカ出身のCandice Pillayがボーカルを担当。アフロ・ビートを感じさせるリズムが、生命力を高めるような高揚感を演出。
総評
『Identity』は、Far East Movementがメジャーシーンで築いた成功とは異なるベクトルで、自分たちの文化的ルーツと向き合い、音楽という形でその問いに答えようとした稀有な作品である。
このアルバムにおいて彼らは、クラブ・ヒットや一過性のトレンドにとらわれることなく、よりパーソナルで、より多層的な「語り」を目指した。
それは単なるアジア系アメリカ人としての自己主張ではない。むしろ、”越境的で未定義な存在”としての自分たちの声を、音と言葉の断片で織り上げていくプロセスだったように思える。
音楽的にもジャンルを超えた完成度の高さを誇り、R&Bの繊細さ、トラップの鋭さ、エレクトロの広がりが調和し、全体を通して深いエモーションが貫かれている。
それぞれのトラックはコラボレーションによって色づけられているが、断片的に終わることはなく、「アイデンティティとは何か?」という核心的なテーマのもとで有機的に結びついている。
『Identity』は、Far East Movementにとって単なるアルバムではない。
それは、音楽を通して“自分で在る”という選択を繰り返し行うための「声明」なのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Rich Brian『Amen』
アジア系ディアスポラとしての自己認識を描いた作品。Identityの延長線にある内容。 - ZHU『Generationwhy』
エレクトロと幽玄的サウンドの融合。『Ghost』のようなトラックとの親和性が高い。 - Yoon Mirae『Gemini 2』
タイトル曲に参加したYoon MiraeによるR&Bの名盤。自己表現と社会性が共存している。 - Jay Park『Everything You Wanted』
韓国R&B/ヒップホップ界の旗手。『SXWME』のエネルギーと地続き。 - 88rising『Head in the Clouds』
アジア系アーティストが集結したコレクティブ・アルバム。FMの『Identity』に通じるグローバルなビジョン。
後続作品とのつながり
『Identity』は、後の『Folk Music』(2020年)への布石ともいえるアルバムである。
『Identity』では「自分とは何者か」を問い、民族性とグローバリズムの狭間でその輪郭を描いた。
そして『Folk Music』では、その問いに対する一つの答えとして、「人と人のつながり」や「語られざる声」に耳を傾ける方向へと進化していった。
つまり、『Identity』はFar East Movementが“語る存在”から“聞く存在”へと変わる境界線にあたる作品であり、キャリア全体の中でもっとも内省的で静かな熱を持ったアルバムなのである。
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