
1. 歌詞の概要
ミッシェル・ブランチの「I’m a Man」は、2022年にリリースされたアルバム『The Trouble with Fever』に収録された楽曲であり、彼女のキャリアにおいて最も社会的かつ政治的なメッセージを内包した1曲である。タイトルだけを見ると、性別をめぐるアイロニーか、あるいは挑発的な逆説にも感じられるが、実際にはこの楽曲は、男性に対する怒りや非難ではなく、女性がいかにして長年社会的構造の中で“生き延びてきたか”という経験を投影した鋭いプロテストソングである。
この曲は、ジェンダーの不平等、セクシュアル・ハラスメント、そして抑圧的な男性中心社会への皮肉と批判を含みつつ、同時に母として、そして一人の女性としての視点から、人間の尊厳や自己決定権の大切さを訴えている。リリース当時のアメリカ社会における中絶の権利を巡る激しい議論(Roe v. Wadeの覆し)を背景に、ブランチは静かな怒りとともにこの曲を世に放った。
2. 歌詞のバックグラウンド
「I’m a Man」が書かれた背景には、ミッシェル・ブランチ自身の人生経験と、2020年代初頭におけるアメリカの政治状況が大きく影を落としている。特に、2022年にアメリカ連邦最高裁が女性の中絶の権利を保障していた「Roe v. Wade」判決を覆したことは、国内外で大きな波紋を呼び、多くのアーティストが声を上げるきっかけとなった。
ブランチも例外ではなく、「I’m a Man」を書くにあたって、母親として、女性として、そして人間として感じる理不尽や怒りを歌詞に託している。彼女はインタビューで、「娘を育てていると、自分がどんな世界に彼女を送り出すのかを考えずにはいられない」と語っており、この曲は単なる個人の表現ではなく、世代を超えた女性たちの経験を代弁するような重みを帯びている。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I’m a man
私が“男”だって?It’s not fair
そんなの不公平よThe way you look at me
あなたの目線の中にLike I’m your enemy
私はまるで敵のように扱われるBut I’m not your sin
でも私はあなたの罪じゃないI’m not your shame
私はあなたの恥でもないI’m just a girl
私はただの“女の子”Trying to live in this man-made world
男が作ったこの世界で、生きようとしているだけ
引用元:Genius Lyrics – Michelle Branch / I’m a Man
4. 歌詞の考察
この楽曲における最大の転倒は、タイトルに込められた皮肉である。「I’m a Man」という言葉は、通常であれば男性性の誇示やアイデンティティの表明に使われるフレーズだが、ここでブランチはそれをあえて女性の口から発し、社会の構造そのものに疑問を投げかける。つまり「“男であること”がこの世界をコントロールしているなら、私はその力にどう対峙すればいいのか?」という問いかけなのである。
「I’m not your sin」「I’m not your shame」というフレーズに込められた強い感情は、女性たちが長らく背負わされてきた“責任なき責任”――性被害に遭ってもなお問われる“女性の側の落ち度”や、“清純であるべき”という社会の価値観――への痛烈な批判でもある。
また、「man-made world(男が作った世界)」という言い回しは、社会構造がいかに男性中心的に設計されてきたかを示す比喩であり、その中で声を上げることすら難しかった女性たちの苦しみが浮かび上がってくる。
この曲は、決して“男性を責める”ものではない。むしろ、「どうすればすべての人が尊重される社会になるか」を真摯に問い直す、非常に誠実で静かな怒りに満ちた一曲なのである。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Your Power” by Billie Eilish
力の不均衡と若い女性への抑圧を歌い上げた、静謐な抗議ソング。 - “Praying” by Kesha
トラウマと再生をテーマに、自らの声を取り戻すために放った魂の叫び。 - “Woman” by Kesha feat. The Dap-Kings Horns
力強く、ポジティブなフェミニズムのアンセムとしても機能する楽曲。 - “The Man” by Taylor Swift
性別によるダブルスタンダードを風刺した、鋭いポップ・チューン。 - “Q.U.E.E.N.” by Janelle Monáe feat. Erykah Badu
マイノリティとしての自己表現と誇りをテーマにしたアート・ファンク。
6. 特筆すべき事項:歌で社会と対峙するという選択
ミッシェル・ブランチはこれまで、主に恋愛や個人的な感情にフォーカスした楽曲を多く手がけてきたが、「I’m a Man」は明確に“社会的なメッセージ”を打ち出した異色の一曲である。これは、単なるジャンルの変化ではなく、人生経験を積んだ彼女が、母として、女性として、そして表現者として、今この時代に言うべきことを言わずにはいられなかったからこそ生まれた音楽だ。
彼女が本作で見せたのは、“ポップミュージックも社会的な武器になりうる”という確信であり、これはサウンドの洗練だけでは得られない、表現者としての“責任と成熟”を感じさせる。
「I’m a Man」は、過去のラブソングとは一線を画しながらも、やはりミッシェル・ブランチらしい“誠実さ”がにじむ作品である。声を上げることは時に怖い。しかしそれでも、自分の真実を歌にするという勇気が、きっと誰かの明日を変える。そんな思いが、この曲の中には確かに宿っている。
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