発売日: 2017年4月7日
ジャンル: インディー・ロック、ドリーム・ポップ、シンガーソングライター
概要
『Hopeless Romantic』は、ミシェル・ブランチが2017年に発表したソロ3作目のフルアルバムであり、
約14年ぶりのスタジオアルバムとして、“成熟したロマンチストの肖像”を描いた転機作である。
2003年の『Hotel Paper』以降、バンド“ザ・レッカーズ”での活動や育児によるキャリアの中断、
そして契約トラブルなど、ブランチにとってこの時期は決して平坦ではなかった。
その長い沈黙を破って発表されたこの作品は、人生の酸いも甘いも経験した彼女が、“もう一度恋を信じる”覚悟を静かに、しかし確固として歌い上げたアルバムである。
制作には、当時のパートナーでもあったパトリック・カーニー(The Black Keys)がプロデューサーとして全面参加。
ローファイかつレトロな質感のロックサウンドと、内省的なリリックが絶妙に融合している。
全曲レビュー
Best You Ever
アルバムの幕開けを飾る、感情の余韻が染み込んだラブソング。
“あなたにとって最高の恋人だったはず”という余白ある宣言が、未練と誇りの狭間に揺れる。
ギターのトーンはどこかザラついていて、冒頭から大人の恋愛感情を映し出す。
You’re Good
ポップでスウィング感あるリズムが印象的な1曲。
“君はうまいよね、心を盗むのが”というほろ苦いユーモアが、淡々としたボーカルに滲む。
Fault Line
まるで地面が裂けるような感情の揺れを描く楽曲。
“愛がいつ崩れるか分からない”という不安が、ギターのうねりとともにリアルに響く。
Heartbreak Now
失恋の瞬間を冷静に観察するような曲。
“もう心が壊れそう、いまこの瞬間に”というリリックが、逆説的に力強く感じられる。
ボーカルは抑制されており、感情の爆発ではなく静かな崩壊を描いている。
Hopeless Romantic
タイトル曲にしてアルバムの核心。
“救いようのないロマンチスト”と名乗る主人公は、自嘲と希望を同時に抱いている。
ドリーミーなサウンドスケープが心地よく、現実と夢のはざまで恋を見つめ直すような一曲。
Living a Lie
関係の欺瞞に気づいてしまった瞬間を描く。
繰り返されるフレーズと、モノクロームなサウンドが、逃れられない現実感を漂わせる。
Knock Yourself Out
耳なじみの良いギターリフに乗せた、冷ややかな優しさを持つ別れの歌。
“好きなだけやってみなよ”という言葉の裏に、諦めと強さが共存している。
Temporary Feeling
“これは一時的な感情よね?”と自分に問いかけるようなリリック。
音数を絞った編曲が、内面の揺れをそのまま残したような素の感情を浮かび上がらせる。
Carry Me Home
スローテンポで展開されるバラード。
“もう帰してよ、私の場所へ”という哀願が、孤独と共鳴する柔らかいメロディに溶け込む。
Not a Love Song
“これはラブソングじゃないの”と語りながら、それでも愛の残像が消えない。
リリックの二重性が、過去と現在の感情を行き来する構成と重なる。
Last Night
前夜の出来事を反芻しながら、関係の意味を探る曲。
夜明けの空気のような透明感と、どこか後悔の混じる口調が印象的。
Bad Side
自分の“悪い面”を正面から見つめる勇気を描いたトラック。
“私の中にも闇がある”という認識が、成長と自己受容の一歩として語られる。
Shadow
最後を飾るのは、幽玄で余韻に満ちた一曲。
“影”というテーマが、過去の恋や自己の不安を象徴しながらも、どこか救いを感じさせる締めくくりである。
総評
『Hopeless Romantic』は、ミシェル・ブランチが“青春の代弁者”という枠を脱し、
傷つきながらも希望を捨てない“大人のロマンチスト”として再定義された作品である。
このアルバムには、かつての彼女にあった“澄んだ憧れ”よりも、“経験の積み重ねが生んだ複雑な感情”が色濃く映っている。
音楽性も一新され、ギターポップの清涼感はドリーミーなインディーロックへと変化。
その変化には、パトリック・カーニーのプロデュースによるブラック・キーズ的ローファイ感覚がしっかりと反映されている。
同時に、ミシェルの芯にある“素直な感情表現”は一切失われておらず、むしろより洗練されたかたちで立ち上がっている。
『Hopeless Romantic』は、“もう一度恋を信じてもいいのかもしれない”という小さな希望を、
誰よりも静かに、けれど確かに肯定するアルバムなのだ。
おすすめアルバム(5枚)
- Lana Del Rey『Norman Fucking Rockwell!』
ロマンティックで自己反省的な語り口が共鳴。 - The Black Keys『Turn Blue』
サウンド面でのプロデューサー共通性あり。陰影のあるブルージーさが似ている。 - Haim『Something to Tell You』
恋愛と成長をテーマにした姉妹ユニットの名盤。オーガニックな質感も近い。 - Kacey Musgraves『Golden Hour』
カントリー・ポップの枠を超えたエモーショナルな女性の内面世界。 -
Fiona Apple『Fetch the Bolt Cutters』
自己解放と過去との対峙というテーマ性において深く響き合う。
7. 歌詞の深読みと文化的背景
『Hopeless Romantic』の多くの楽曲では、「恋」を明確に賛美したり否定したりするのではなく、
“信じたいけれど、裏切られるかもしれない”という狭間が描かれている。
これは、SNSやスピード化する関係性のなかで、愛や信頼が脆弱化する現代の恋愛観ともリンクする。
また、自己の“弱さ”や“矛盾”をそのまま肯定するような描写には、
#MeTooやフェミニズム以降の文脈も微かに漂っており、ブランチ自身の視座が時代とともに深化していることを示唆している。
“Hopeless”という言葉が“Romantic”と結びついたとき、
それは“救いようがない”のではなく、“それでも信じたい”という微かな希望の証明になる。
その誠実さこそが、このアルバムの根源的な魅力なのだ。
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