アルバムレビュー:Here’s to Shutting Up by Superchunk

※本記事は生成AIを活用して作成されています。

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発売日: 2001年9月18日
ジャンル: インディー・ロックオルタナティヴ・ロック


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2. 概要

『Here’s to Shutting Up』は、ノースカロライナ州チャペルヒル出身のインディー・ロック・バンド、Superchunk が2001年に発表した8作目のスタジオ・アルバムである。
前作『Come Pick Me Up』でホーンやストリングスを導入し、“中期のピーク”を築いた彼らは、本作でさらにテンポを落とし、アコースティック度を高めた内省的なサウンドへと踏み込んでいく。

プロデュースを担当したのは、既に『Foolish』でもタッグを組んでいた Brian Paulson。
レコーディングは、彼が Man or Astro-man? のメンバーと共に作り上げたアトランタ・Cabbagetown のスタジオ Zero Return で行われた。
つまり本作は、“地元チャペルヒルのパンク寄りインディー”と、“サザン〜オルタナ/ポストロック人脈”が出会った地点に生まれた作品でもあるのだ。

このアルバムが歴史的文脈の中で特別な重みを持つのは、そのリリース時期にも理由がある。
当初の発売日は2001年9月18日とされていたが、その直前にアメリカ同時多発テロが発生し、リリースは数週間後ろ倒しになった。
ツアー日程は既に組まれており、日本公演を含むワールドツアーも予定通り決行されたが、メンバーは歌詞の内容を考慮し、「Phone Sex」をしばらくセットリストから外していたという。

タイトル曲は存在せず、“Here’s to Shutting Up” というフレーズは5曲目「Out on the Wing」の冒頭から採られている。
「黙ることに乾杯」とでも訳したくなるこの言葉には、90年代を駆け抜けてきたインディー・バンドが、2000年代の入り口で“喋りすぎた自分たち”を振り返るニュアンスが込められているように思える。

音楽的には、前作までの“ギター・バンド+装飾”という構図からもう一歩引き、アコギ、オルガン、ペダルスティールなどを用いたオルタナ・カントリー/スロウコア寄りの質感が強まっている。
特に9曲目「What Do You Look Forward To?」の長尺バラードは、本作のセンターピースとして、時間の経過とともにじわじわ効いてくる。

また、日本のリスナーにとって印象的なのは、8曲目「Art Class (Song for Yayoi Kusama)」だろう。
タイトルの通り、前衛芸術家・草間彌生へのオマージュとして書かれた楽曲であり、アメリカのインディー・バンドが、彼女のアートをどのようにポップソングに変換したのかが感じられる一曲である。

長らく廃盤状態にあったが、2021年には20周年記念リイシューとして、ボーナスCDにアコースティック・デモ13曲を収めた2CD/アナログ盤が発売された。
バンド側もこのタイミングで当時を振り返っており、“穏やかながらも大きな変化点”として、本作がキャリアの中でどれほど重要だったかが改めて強調されている。


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3. 全曲レビュー

1曲目:Late-Century Dream

アルバムは「Late-Century Dream(世紀末の夢)」というタイトルのミドルテンポ曲で幕を開ける。

歪みを抑えたギターと穏やかなリズム、オルガンの広がりが、ゆっくりとした高揚感を作り上げる。
サビでのメロディは非常にキャッチーだが、決して大声で叫ぶのではなく、少し抑えたテンションで歌われるのが本作らしい。

歌詞のテーマは、20世紀の終わりから21世紀への移行期に漂う、期待と不安の入り混じったムードだと解釈できる。
“夢”と呼んでしまうには現実的すぎ、かといって“現実”と言い切るにはどこか頼りない感覚。
Superchunk はその曖昧さを、派手ではないがしっかりと芯の通ったギター・ロックで描き出す。

アルバム全体のトーン――速すぎないテンポ、にじむようなノスタルジア、そして日常視点の歌――は、この1曲で早くも提示されているのだ。


2曲目:Rainy Streets

タイトル通り、“雨の街路”を描いたような2分程度の小品。

やや速めのテンポで跳ねるリズムに対して、ギターはクリーン〜軽いクランチで刻まれ、雨粒がアスファルトを叩く音のような細かいストロークが印象的。
コーラスは地味だが耳に残り、短さゆえに何度もリピートしたくなるタイプの曲である。

歌詞は、雨の中を歩く姿を通して心の状態を描く、インディー・ロックの王道とも言える手つき。
濡れた舗道やにじむ街灯といったイメージが、感情のグラデーションと自然に重なっていく。
“嵐”ではなく“しとしと降る雨”に寄り添うのが、ここでの Superchunk らしいところなのだろう。


3曲目:Phone Sex

本作の中でもっとも議論を呼んだ楽曲が「Phone Sex」である。

サウンドはオルガンとスローなリズムが前面に出たバラード調で、ペダルスティールのような柔らかいギターが、曲全体にオルタナ・カントリー的な質感を与えている。
そこに Mac の少し掠れたボーカルが乗り、親密でありながら危うい空気を醸し出す。

問題になったのは歌詞の一節で、テレビに映る飛行機事故の映像を見ながら“それが自分だったかもしれない”と感じるイメージが含まれている。
2001年9月11日の出来事を受けて、バンドはツアー初期のセットリストからこの曲を外す判断をした。
歌としては架空の情景であっても、現実とのリンクがあまりにも生々しくなってしまったからだ。

その後のリイシューや配信で楽曲自体はきちんと残されており、“日常とメディアをめぐる不安”を描いた重要曲として再評価されている。
ぼんやりとした不安が、時代によって一気に輪郭を持ってしまう――その象徴のようなナンバーと言えるだろう。


4曲目:Florida’s on Fire

ここでテンポがぐっと上がり、アルバムの中で数少ない“ロック寄りの瞬間”が訪れる。

タイトなドラムと歪んだギター・リフが前へ押し出し、ベースも攻めのフレーズで応戦する。
それでも音の隙間はちゃんと空けられていて、90年代初期のハイテンションな Superchunk とは違う、“余裕のある焦燥”が感じられるサウンドになっている。

歌詞の“炎上するフロリダ”というイメージは、比喩的な政治状況や社会の不安定さを暗示しているとも読めるし、単に灼熱の気候を誇張した表現とも受け取れる。
いずれにせよ、“火のついた土地”を前に、そこから逃げるでも立ち向かうでもなく、ただ見つめているような距離感が印象的だ。


5曲目:Out on the Wing

アルバム名の由来となるフレーズを含む、重要なハイライト曲。

5分半近い長さの中で、アコギ、エレキ、オルガン、リズム隊がじわじわと積み上がり、クレッシェンドしていく。
ここでの Superchunk は、もはや“パワーポップ・バンド”というより、“オルタナ・フォーク集団”に近い落ち着きを見せる。

“翼の端にいる(Out on the Wing)”というイメージは、中心から少し外れた場所、決定権を持たない位置に立たされている感覚と重なる。
そこから見える景色は、騒がしい都市でもステージでもなく、郊外の空や滑走路の端のような、どこか取り残された空間だ。
そこで“黙ることに乾杯”するのか、それとも再び喋り始めるのか――アルバムタイトルは、その揺れを象徴しているように思える。


6曲目:The Animal Has Left Its Shell

タイトルを直訳すると「動物は殻を抜け出した」。
しかし実際に音を聴くと、“殻を破った瞬間の暴走”ではなく、“抜け殻を見つめる静かな時間”のような雰囲気を持った曲である。

テンポは中庸で、ギターはやや鋭さを取り戻しつつも、サウンド全体は丸く抑えられている。
メロディは耳に残りやすく、サビでのフレーズはライヴでも盛り上がりそうな高揚感を持っているが、レコーディングではあえて抑制気味に歌われている。

歌詞は、“中身が去ってしまった殻”というイメージを通して、成長や別れ、終わった関係を受け入れるプロセスを描いているようにも感じられる。
かつての自分、かつてのバンド、かつてのシーン。そのどれを指しているのかは明確にされないが、どれにも重ねてしまえる器用なメタファーなのだ。


7曲目:Act Surprised

アルバム後半に向けての橋渡しとなる「Act Surprised」は、タイトル通り“驚いたふりをする”ことをテーマにした曲。

リズムはミドルテンポで、ギターのカッティングが乾いた質感を作り出す。
前半は抑え気味に進行しつつ、サビでコードが開いてメロディが跳ね上がる、典型的な Superchunk 的構成だが、ここでも音量は極端には上がらない。

他人の行動にも、自分の人生の展開にも、“本当は驚いていないけれど驚いたふりをする”瞬間がある。
それは諦めにも似た成熟なのかもしれないし、社会的に丸く収まるための演技とも言える。
この曲は、その複雑な感情を、皮肉とユーモアを少しだけ滲ませながら描いている。


8曲目:Art Class (Song for Yayoi Kusama)

草間彌生に捧げられた「Art Class (Song for Yayoi Kusama)」は、日本のリスナーにとって特に気になるタイトルだろう。

サウンドは、穏やかなミドルテンポのインディー・ロック
水玉や反復模様を想起させるようなギター・フレーズが繰り返され、その上を Mac のボーカルが淡々と歩いていく。
派手な展開はないが、じわじわとトランスに近い感覚に持っていく構造は、草間作品の“反復するモチーフ”と自然にリンクしている。

歌詞では、美術教室のような場面を通して、アウトサイダー的な感覚、現実から少しずれた感性を持つ人物像が描かれる。
草間彌生の生涯や作品を直接なぞるのではなく、その精神性をポップソングのフォーマットに翻訳したような曲と言える。

インディー・ロックのアルバムの中で、こうした具体的な日本人アーティストへのトリビュートがさらりと収められていること自体、当時としてはかなりユニークである。


9曲目:What Do You Look Forward To?

7分を超えるスローバラードで、本作の感情的なクライマックスに位置するのが「What Do You Look Forward To?」だ。

ソフトなドラムとベースの上に、アコギとオルガンがゆっくりと和音を重ねていく。
曲は急激に盛り上がることなく、少しずつダイナミクスを増やしながら進み、最後まで“静かなまま”心を締めつける。

歌詞では、車のフロントガラス越しに見える母と娘の姿など、生活の断片が淡く描写される。
その中で“何を楽しみにして生きているのか?”という問いが投げかけられるが、答えは最後まで明確には示されない。

電話越しの会話での失言、家族や周囲の人への謝罪、そして“今日はその日ではありえない”という諦念めいた感覚。
30代に差し掛かった人間が抱く、“かつて思い描いた未来とは違う場所”に立ってしまったときの戸惑いが、静かな筆致で綴られている。

インディー・ロックの枠を超え、“人生の長い夜”のような時間を切り取った楽曲として、アルバムの中でも特別な存在感を放つ。


10曲目:Drool Collection

ラストを飾る「Drool Collection」は、タイトルだけ見るとどこかコミカルだが、内容は切なさとユーモアが混ざり合ったミドルテンポのロック・チューンである。

ギターは再びやや歪みを増し、リズムも前のめりになるが、“疾走”まではいかない。
これまでの曲で抑え込んできた感情が、最後に少しだけスピードを得て、解き放たれていくような感覚だ。

“Drool(よだれ)”という単語は、気の抜けた姿や、うたた寝する人の口元を連想させる。
そこには、カッコつけきれない自分、気合いだけではどうにもならない日常のだらしなさといった要素が含まれている。
それでもこの曲は、そんな“情けない部分”を笑い飛ばしながら、もう一度立ち上がるための軽いキックとして機能しているように思える。

アルバムは、壮大なエンディングでも絶望の断末魔でもなく、“やれやれ”という小さなため息と共に幕を閉じる。
それがとても Superchunk らしく、そして2001年という時代の空気にもよく似合っている。


4. 総評

『Here’s to Shutting Up』は、Superchunk のキャリアの中で“静かな転換点”として位置付けられる作品である。
初期の『No Pocky for Kitty』『On the Mouth』のような爆走パンク寄りサウンドから、 『Indoor Living』『Come Pick Me Up』でのダイナミクス豊かなポップ路線を経て、
ここではさらにテンポを落とし、音数を整理し、アコースティック楽器を前面に出した“枯れたインディー・ロック”へと向かっている。

プロダクションの面では、Brian Paulson とバンド自身の共同プロデュースによる、非常に落ち着いた音像が特徴だ。
ギターはジャキジャキと前に出るのではなく、曲全体のテクスチャーとして配置され、オルガンやペダルスティール、ささやかなコーラスが余白を埋めていく。
音圧よりも空間の奥行きや、演奏のニュアンスを重視したミックスは、同時期のラウドネス競争とは一線を画すものだろう。

歌詞面では、Pitchfork が指摘するように、架空の人物の視点を取りつつも、“過ぎ去った日々への郷愁”が強く表れている。
「Out on the Wing」での周縁に立たされた感覚、「What Do You Look Forward To?」の“これから”を問う視線には、30代に差し掛かったミュージシャンのリアルな年齢感覚がにじむ。
10代〜20代前半の焦燥を歌った初期作品とは異なり、ここで扱われているのは、“大人になってしまった後の迷子”なのだ。

社会的な文脈を考えると、2001年はオルタナ〜インディー・ロックにとっても大きな転換期だった。
Radiohead は『Kid A』『Amnesiac』でロックの解体を進め、Wilco は『Yankee Hotel Foxtrot』でアメリカーナと実験性の新しい接点を探っていた。
その中で Superchunk は、派手なサウンド革命ではなく、生活に根ざした視点と静かなアレンジによって、“日常の中の不安と老い”を描き出している。

また、このアルバムはバンドの活動サイクルにおいても特別な意味を持つ。
2001年の本作以降、Superchunk は長期的なスタジオ・アルバムの空白期間に入り、次作『Majesty Shredding』が登場するのは2010年になってからだ。
タイトルの“Shutting Up”が“沈黙宣言”のように受け止められたのも無理はなく、当時のファンの間では“このまま終わってしまうのでは?”という不安もあったという。

しかし実際には解散することなく、ライヴ盤シリーズ『The Clambakes』や単発シングルを挟みながら、“大人のバンドとしての生き方”を模索していた。
その意味で『Here’s to Shutting Up』は、疾走期と再始動期のあいだに横たわる“静かな橋”のような作品であり、
初期/復活期だけを聴いていると見落としてしまいがちな、重要なピースだと言える。

20周年リイシューで追加されたアコースティック・デモを聴くと、曲の骨格がいかにフォーク〜カントリー寄りのソングライティングに根ざしているかがよく分かる。
そこに、バンドとして培ってきたインディー・ロック的ダイナミクスや、関係性から生まれるグルーヴが加わることで、このアルバム特有の“枯れているのに瑞々しい”質感が生まれているのだ。

現在の耳で聴くと、『Here’s to Shutting Up』は決して派手ではない。
しかし、長くバンドを続けること、歳を重ねながらロックを演奏し続けることについての、一つの静かな回答がここには記録されている。
Superchunk をアルバム単位で辿るなら、決して飛ばさずにじっくり向き合いたい一枚なのである。


5. おすすめアルバム(5枚)

  1. Come Pick Me Up / Superchunk1999
    ホーンやストリングスを導入しつつ、まだテンポも高揚感も十分に残っていた中期の名作。
    『Here’s to Shutting Up』の一歩手前で、バンドがどのようにサウンドを広げていったかを知るのに最適である。
  2. Majesty Shredding / Superchunk(2010)
    長い空白を経て復活した“後期第一章”。
    テンションの高いギター・ロックと、成熟したメロディセンスが同居しており、『Here’s to Shutting Up』で得た内省性が、再びアップテンポの楽曲に反映されている。
  3. I Hate Music / Superchunk(2013)
    さらに年齢を重ねたバンドが、喪失や老いと向き合いながらも、アンセミックなパワーポップを鳴らした作品。
    “シニカルなのに前向き”という空気は、『Here’s to Shutting Up』の静かな憂いとも地続きである。
  4. And Then Nothing Turned Itself Inside-Out / Yo La Tengo(2000)
    同時期に登場した、穏やかで内省的なインディー・ロックの金字塔。
    テンポを落とし、生活感のある視点から世界を描く、という意味で本作との親和性が高い。
  5. Yankee Hotel Foxtrot / Wilco(2002)
    オルタナ・カントリーと実験性を結びつけ、“21世紀のアメリカーナ”を提示した作品。
    音の作り込みや時代感は異なるが、“2000年代の入り口に立つ大人たちの戸惑い”というテーマは、『Here’s to Shutting Up』と響き合う部分が多い。

6. 制作の裏側

『Here’s to Shutting Up』のレコーディングは、アトランタ・Cabbagetown にあった Zero Return スタジオで行われた。
このスタジオは、サーフ〜ガレージ〜SFサウンドを行き来するバンド Man or Astro-man? のメンバーが関わって建てた施設であり、
そこに Brian Paulson を迎えたことで、“オルタナ〜インディーの裏街道”のような人脈が自然と集う場になっていた。

Superchunk のメンバー構成は、結成時から変わらず、Mac McCaughan(Vo/Gt)、Jim Wilbur(Gt)、Laura Ballance(Ba)、Jon Wurster(Dr)の4人。
本作でもこの基本ラインナップはそのままに、ゲストとしてペダルスティールなどのプレイヤーが参加し、オルタナ・カントリー的な色彩が付け加えられている。

録音手法は、いわゆる“クリックに合わせて細かく編集する”スタイルではなく、バンドのアンサンブルを生かす方向に寄っている。
テンポの揺れや、歌とギターの微妙な前後関係がそのまま記録されており、特に「What Do You Look Forward To?」のような長尺曲では、その“生身感”が曲の説得力を高めている。

2021年の20周年リイシューでは、制作時のアコースティック・デモを収めたボーナスCDが付属し、曲作りのプロセスが垣間見られるようになった。
デモを聴くと、多くの楽曲が“ギターと声だけ”の段階で既に強いメロディとコード進行を備えていたことが分かり、
スタジオではその骨組みに最小限の装飾とダイナミクスを加えることで、最終形に辿り着いていることが見て取れる。


9. 後続作品とのつながり

『Here’s to Shutting Up』のリリース後、Superchunk はしばらくスタジオ・アルバムを発表せず、2000年代前半〜半ばにかけては、ライヴ盤シリーズ『The Clambakes』のリリースや散発的なライヴ活動にとどまる。
タイトルから“これで口をつぐむのか?”と心配したファンも多かったが、実際には解散ではなく、“ロング・ブレイク”に近い状態だった。

2010年の『Majesty Shredding』で本格復活を果たしたとき、そこにあったのは初期を思わせるスピードと、
『Here’s to Shutting Up』で獲得した内省的な視点のハイブリッドだった。
速い曲でもただの若さの爆発ではなく、“大人としての不安と希望”が歌われ、“遅い曲”では『Here’s to Shutting Up』以降の静けさが生かされている。

さらに2010年代の『I Hate Music』『What a Time to Be Alive』『Wild Loneliness』と進むにつれ、
Superchunk は、“ずっとインディーであり続けること”“中年以降の人生と向き合うこと”というテーマを、よりストレートに作品へ反映させていく。

そうした後年の作品を遡って聴いてみると、『Here’s to Shutting Up』で描かれていた“静かな不安”や“言葉にならない違和感”が、
実はその後の20年にわたる Superchunk の活動すべてに通じる伏線であったようにも思えてくる。


参考文献

  • Wikipedia “Here’s to Shutting Up”(作品基本情報、トラックリスト、共同プロデューサー、ツアーでの「Phone Sex」不演奏の経緯など)
  • Wikipedia “Superchunk”(ディスコグラフィ、活動のタイムライン)
  • Pitchfork “Superchunk: Here’s to Shutting Up Album Review”(歌詞テーマ、“郷愁”に関する指摘)
  • Pitchfork “Superchunk Announce Here’s to Shutting Up 20th Anniversary Reissue”(2021年リイシュー情報、ボーナス・デモ収録)
  • Superchunk / Merge Records Bandcamp “Here’s to Shutting Up”(発売日、トラックリスト、20周年盤の仕様)
  • Josey Records 商品解説(Zero Return スタジオでの録音、リリース時期と9/11の影響に関する記述)
  • Wikipedia “Yayoi Kusama”(「Art Class (Song for Yayoi Kusama)」に関する記述)
  • Pitchfork “Superchunk: I Hate Music Album Review”(『Here’s to Shutting Up』以降の活動とバンドの“フォーミュラ”への言及)
  • Pitchfork “Superchunk / Wwax: Leaves in the Gutter / Like It or Not Review”(『Here’s to Shutting Up』を最後に長い空白期間に入ったことへの言及)
  • New Yorker “Growing Old with Superchunk”(タイトルをめぐる受け止め方、バンドが“黙らなかった”ことへの言及)

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