1. 歌詞の概要
「Going Kokomo(ゴーイング・ココモ)」は、オーストラリア・シドニー出身のインディーポップ・デュオ Royel Otis(ロイヤル・オーティス) が2024年にリリースしたデビューアルバム『Pratts & Pain』に収録されている楽曲である。
タイトルが示す通り、「Kokomo(ココモ)」とは、ビーチ・ボーイズが1988年に発表した楽園的なサーフポップのヒット曲「Kokomo」を想起させるが、Royel Otis版の「Kokomo」は、現実逃避でもハッピーなビーチの夢でもない。“心が壊れそうだから、せめてどこかへ消えたい”という切実な逃走願望が漂う、スローモーションのような憂鬱なトリップソングである。
この曲の魅力は、そのタイトルから期待される陽気さとは裏腹に、メロディもリリックも驚くほど内省的かつ退廃的であること。
表面は明るいのに、中身は曇天のように重たい。
その“明るいふりをした陰鬱さ”こそが、現代的な感情のあり方を鮮やかに捉えているのだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
Royel Otisはこれまでも、「Kool Aid」「Sofa Kings」「Adored」などで、現代における若者の心の揺らぎ、倦怠、微かな希望、自己投影の危うさを描いてきた。
「Going Kokomo」もその流れにあるが、本作では**“逃げること”を全面に出したメッセージ**が印象的だ。
“Kokomo”という言葉は、もともとBeach Boysが架空の楽園として描いた場所であり、どこにも実在しない“心の避難所”だった。
Royel Otisの「Going Kokomo」は、それを現代の視点で再構築したものであり、「本当はどこにも逃げ場なんてない」と知りながらも、逃げずにはいられない衝動がその根底にある。
この曲のレイドバックしたリズム、ゆるやかなギターリフ、ダルそうな歌声には、ただのバカンスの夢ではなく、感情の疲弊と自己防衛が染み込んでいる。
3. 歌詞の抜粋と和訳(意訳)
“Going Kokomo / Don’t care where I land”
「どこへ着こうと構わない、ただ“ココモ”に行くんだ」“Sunburn on my skin / but it’s better than the cold within”
「肌が焼けるほうがマシさ、内側の寒さよりは」“I’m sipping drinks like it fixes the mess / But the mess just follows”
「飲み物をすする、それで片付く気がして/でも混乱はついてくるだけ」“Fake a smile, play the tune / hope I leave this room soon”
「笑顔をつくって、音を流して/この部屋を抜け出せたらいいのに」
これらのリリックからは、日差しやビーチという明るいイメージが、実は内なる闇を覆い隠すための仮面にすぎないことがうかがえる。
“逃避”という行為そのものが自傷にも似た繰り返しになっている点も、この楽曲の深層を形作っている。
4. 歌詞の考察
「Going Kokomo」は、**希望を夢見たままではいられなくなった現代人の“壊れかけの逃走劇”**である。
ただし、それは破滅ではなく、なんとか自分を保つための“消極的な生き延び”の方法として描かれている。
「Kokomo」はここでは場所ではなく、気持ちを無にできる仮想空間=精神の冷却装置なのかもしれない。
そこへ向かうことは、快楽でも解放でもなく、単なる“現実から目を逸らす瞬間”なのだ。
特筆すべきは、サウンドとリリックのあいだにある不協和音のようなギャップだろう。
ゆるやかで明るいコード進行。夢心地のようなエフェクト処理。柔らかいヴォーカル。
だが、その中身は全然晴れていない。
これこそが、現代的なメンタルの表現なのだ。
誰もが元気そうに見せながら、実は少しずつ壊れている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- “Undercover Martyn” by Two Door Cinema Club
明るいビートに包まれた孤独のポートレート。 - “Beach Baby” by Bon Iver
“ビーチ”という楽園の陰で鳴る、孤独とノスタルジー。 - “Let’s Go Surfing” by The Drums
サーフロック調なのに、そこはかとない憂鬱さが漂う皮肉なアンセム。 - “Kokomo” by The Beach Boys
元ネタにあたるサマー・クラシック。比較することでRoyel Otisの再解釈の深さがわかる。 -
“Someone New” by Hozier
恋や自己を切り離して漂うような“感情の麻酔状態”を描いた楽曲。
6. 明るい夢のなかで、静かに壊れていく音楽
「Going Kokomo」は、明るさと憂鬱の境界を曖昧にしたまま、
聴く者をどこでもない“楽園”へと誘う。
だがその楽園には、喜びではなく、ただ“無”がある。
それが救いになるかもしれないし、さらなる空虚かもしれない。
Royel Otisは、それを断定しない。
ただ、この音楽を流している間だけ、世界が少し遠くなるような気がする。
そしてそれはきっと、今日をやり過ごすために必要な“ささやかな逃避”なのだ。
「Going Kokomo」は、壊れないために、少し壊れてみせる。
それが今を生き抜く、優しいサバイバルのかたちなのかもしれない。
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