
発売日: 2022年9月30日
ジャンル: オルタナティブ・ロック、フォーク・ロック、ガレージ・ロック
概要
『Doggerel』は、ピクシーズが2022年にリリースした通算8作目のスタジオ・アルバムである。
前作『Beneath the Eyrie』(2019)から3年ぶりに発表された本作は、
再結成後の彼らがさらなる成熟と内省を極めた“新しい地平”を示す作品となっている。
タイトルの「Doggerel(ドッゲレル)」とは、「下手な詩」や「つたない韻文」を意味する言葉。
だが本作でのピクシーズは、その“拙さ”を逆手に取り、人生の不完全さ、老い、諦念、そして希望を詩的に描き出している。
制作は前作に続きトム・ダルゲティがプロデュースを担当。
サウンドはこれまでよりも落ち着き、ブルースやフォーク、60年代のサイケデリック・ロックの要素を柔らかく吸収している。
初期の爆発的な衝動とは異なるが、そこには年輪を重ねたバンドの深い呼吸がある。
『Doggerel』は、かつての混沌を経て円熟へと至ったピクシーズが、
“老いを恐れず、生きることそのものを歌う”という新たなテーマを見出した作品なのである。
全曲レビュー
1曲目:Nomatterday
軽快なリズムとユーモラスな歌詞で幕を開ける。
「今日が何曜日でも構わない」と歌うその姿勢は、現実のルールや秩序を越えた自由を象徴している。
ブラック・フランシスのヴォーカルには、どこか達観したような余裕が漂う。
2曲目:Vault of Heaven
アルバムの中核を成すスロー・ナンバー。
タイトルの「Vault of Heaven(天の穹窿)」が示す通り、宗教的イメージと人間の孤独が交錯する。
哀愁を帯びたメロディと深いリヴァーブが、空を見上げるような静けさを生む。
3曲目:Dregs of the Wine
ギターのカッティングと重厚なリフが特徴のロック・チューン。
飲み残しのワインのように、過ぎ去った青春への郷愁を歌う。
ジョーイ・サンティアゴのギターが久々に火を吹く瞬間だ。
4曲目:Haunted House
60年代風のロカビリー・テイストが漂うユーモラスな楽曲。
“幽霊屋敷”という題材の裏には、記憶や過去の影と共に生きる人間の悲哀が描かれている。
ピクシーズ特有のダーク・ジョークが光る一曲。
5曲目:Get Simulated
現代社会への風刺を込めた楽曲。
「シミュレーションの中で生きている」と歌う詞は、デジタル時代の孤立や虚構を示唆する。
無機質なギターリフとリズムマシン風のドラムが冷たく響く。
6曲目:The Lord Has Come Back Today
牧歌的なメロディが広がる温かなナンバー。
宗教的タイトルながらも、実際には“日常の小さな奇跡”を歌ったものだ。
ブラック・フランシスのボーカルが穏やかに響き、柔らかい希望を感じさせる。
7曲目:Thunder and Lightning
疾走感のあるギターロック。
雷鳴のように鋭いドラムとギターの応酬が、アルバムに緊張感を与える。
歌詞では、激情と冷静のはざまで揺れる心情が描かれている。
8曲目:There’s a Moon On
リードシングルにして最もキャッチーな曲。
月明かりの下で繰り返される衝動的な愛を描き、サーフ・ロック的なリズムが心地よく躍動する。
アルバム中でもっとも初期ピクシーズを想起させる瞬間だ。
9曲目:Pagan Man
アコースティックギターを主体とした穏やかなフォーク曲。
異教徒の男=“Pagan Man”という比喩を通じて、孤独な信仰や生き方を静かに描く。
宗教と人間性の関係をユーモラスに見つめ直す。
10曲目:Who’s More Sorry Now?
ブルース色の強い楽曲で、後悔や喪失をテーマにしている。
乾いたギターと控えめなリズムが、過去を振り返るような叙情を生む。
年齢を重ねたバンドだからこそ歌える、深い余韻を持つ1曲だ。
11曲目:You’re Such a Sadducee
旧約聖書の宗派“サドカイ派”を題材にした風刺的ナンバー。
軽快なテンポながら、権威や偽善を笑い飛ばすブラック・ユーモアに満ちている。
宗教をメタファーとして使うピクシーズらしい知的な皮肉が効いている。
12曲目:Doggerel
タイトル曲にしてアルバムの締めくくり。
ゆったりとしたテンポで、詩人のように人生を振り返るような内容だ。
“Doggerel”という言葉そのものが、完璧ではない人生を受け入れる象徴として響く。
穏やかなギターと重なり合うコーラスが、老成した美しさを湛えている。
総評
『Doggerel』は、ピクシーズが再結成後に築き上げたスタイルの“成熟の極み”である。
ここにはもはや初期の激情はない。だがその代わりに、静けさと洞察がある。
サウンドはフォークやブルースの要素を巧みに融合させ、
“オルタナティブ・ロックの円熟形”とも言える落ち着きを見せる。
トム・ダルゲティのプロダクションは温かみを保ちながらもクリアで、
全編にわたってアナログ的な質感が漂っている。
ブラック・フランシスの歌詞はこれまで以上に詩的で寓話的。
“老い”“信仰”“虚構”“赦し”といったテーマを軽やかに、そしてユーモラスに描く。
それは人生の最終章を静かに受け入れるような、優しい眼差しなのだ。
『Doggerel』は、再結成後のピクシーズ三部作(『Head Carrier』『Beneath the Eyrie』『Doggerel』)を締めくくるにふさわしい作品であり、
バンドが円熟の境地に達したことを告げる壮麗な余韻を残す。
もはや“若き狂気”ではなく、“老成した自由”こそがピクシーズの新しい顔なのだ。
おすすめアルバム
- Beneath the Eyrie / Pixies
前作にして本作への直接的な布石。ダークで幻想的な世界観が特徴。 - Head Carrier / Pixies
再結成後の安定期を築いた、ポップとノイズの融合作。 - Surfer Rosa / Pixies
荒削りな初期衝動を体感できる原点的名盤。 - The Good Son / Nick Cave and the Bad Seeds
成熟したロックの静謐さと宗教的モチーフの共通点がある。 - Time Out of Mind / Bob Dylan
老いと内省をテーマにしたブルースの名盤。ピクシーズの今作と通じる深みを持つ。
制作の裏側
『Doggerel』はマサチューセッツ州のスタジオでレコーディングされ、
バンドはこれまでの“爆発的セッション型”から、より熟考されたソングライティング手法へと移行した。
ブラック・フランシスは「今回は“曲を書き込む”作業を重視した」と語り、
リハーサル段階で徹底的にアレンジを練り上げたという。
パズ・レンチャンティンのベースは温かく、彼女のハーモニーが楽曲全体を包み込む。
ジョーイ・サンティアゴのギターは過去最小限ながら、的確にエモーションを支える。
長年の仲間であるデイヴィッド・ラヴァリングのドラミングは、
年齢を重ねた落ち着きの中に確かな強度を保っている。
『Doggerel』はピクシーズの再結成後の集大成にして、
“衝動の終焉と美学の成熟”を描いた静かな傑作なのだ。



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