1. 歌詞の概要
「Black Steel」は、Trickyが1995年にリリースしたデビュー・アルバム『Maxinquaye』に収録されたトラックであり、その攻撃的で挑発的なサウンドと、政治的なメッセージが強烈なインパクトを与える異色のナンバーである。この楽曲は、元々アメリカのヒップホップ・グループPublic Enemyの「Black Steel in the Hour of Chaos」（1988年）のカヴァーであり、原曲の政治的怒りと抗議精神をTricky流に再構築した作品となっている。
原曲は、徴兵拒否をした兵士が刑務所に収監され、暴力的な手段で脱獄を果たすというストーリー仕立てのリリックを持ち、レーガン時代のアメリカの軍国主義・人種差別への強い批判を含んでいた。一方、Trickyの「Black Steel」では、Martina Topley-Birdがこの暴力的なリリックを無機質でクールに、時に陶酔するようなトーンで歌い上げており、その冷静さと内容の苛烈さとのギャップが異様な緊張感を生んでいる。
ギターが鳴り響くパンク的アプローチと、トリップホップ特有のダークな音像が融合し、単なるカヴァーには留まらない、「政治的パンク×黒人文化×英国サブカルチャー」というジャンル横断的な実験性を持つ楽曲として評価されている。
2. 歌詞のバックグラウンド
Trickyがこの曲を『Maxinquaye』に収録したことは、彼の出自とスタンスを象徴的に示すものでもあった。Public Enemyは、1980年代後半〜90年代初頭のアメリカにおける黒人運動を牽引する存在であり、その音楽は政治的なメッセージに満ちていた。「Black Steel」はその中でも特に反骨精神の強い作品として知られていた。
Trickyは、イギリス・ブリストルの労働者階級出身で、混血であり、トラブルの多い少年時代を過ごしていた。彼にとってこの曲は、アメリカの黒人が直面した政治と暴力の構図を、イギリスの社会的抑圧や制度的暴力と重ね合わせるための“翻訳”であり、“共振”であったと言える。
さらに、オリジナルではチャックDの力強い男性的ラップだったこの曲を、あえて女性ヴォーカル（Martina）に歌わせるというアレンジが非常に示唆的だ。暴力、怒り、抗議——そうした“男性的”とされてきた政治表現を、冷静で静かな女性の声に置き換えることで、Trickyは既存の政治的語法すらも“解体”している。
3. 歌詞の抜粋と和訳
I got a letter from the government
政府から手紙が届いたThe other day
この前のことだI opened and read it
それを開いて読んだIt said they were suckers
奴らはクソッタレだった
この導入部はPublic Enemyの原曲からそのまま引用されており、アメリカの徴兵制度に対する痛烈な拒否のメッセージが込められている。冒頭から政府への反抗が明確に語られ、リスナーはこの「戦い」に巻き込まれる。
I ain’t no sucker who accepts the war
戦争に従うようなバカじゃないGoing to jail’s better than being a bomb
爆弾にされるより、牢屋のほうがマシだ
ここでは、兵士として“使い捨て”にされることへの拒絶が明示されており、命令に従うことそのものを「暴力」として捉えている。Trickyのバージョンでは、このメッセージがMartinaの声で淡々と、しかし不気味なリアリティをもって語られる。
※歌詞引用元：Genius – Black Steel Lyrics
4. 歌詞の考察
Trickyによる「Black Steel」は、単なるカヴァーではなく、音楽と政治、ジェンダー、階級の交差点で生まれたアート作品である。暴力的な物語を冷たく無機質な声で語らせることで、Trickyはリスナーの想像力を刺激し、戦争、国家、権力というテーマをより個人的な次元に引き下ろしている。
特に印象的なのは、「脱獄」というモチーフが単なる物理的な行動ではなく、“思考の自由”や“意識の脱構築”を象徴していることだ。これは、Tricky自身が持つ社会不適応性や疎外感とも重なり、彼の音楽の根底にある“居場所のなさ”という感覚を体現している。
また、男性中心的だったヒップホップ文化に対し、Martinaの存在はまるで“声の武装解除”のように機能している。その効果は絶大で、聴く者は単にメッセージを受け取るのではなく、「誰が、どう語るのか」によって、意味が変容していく過程を体感することになる。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- Black Steel in the Hour of Chaos by Public Enemy
Tricky版の原曲。怒りと反抗のエネルギーが直線的に表現されたラップクラシック。 - Rise by Tricky
同じく『Maxinquaye』からの一曲で、内面の暗黒と暴力性が蠢く。 - She Is Beyond Good and Evil by The Pop Group
ポストパンク的な政治的狂気が支配する名曲。思想と怒りの先鋭。 -
Army of Me by Björk
女性による暴力的なイメージの再構築。力強さと不穏さの同居。 -
Mezzanine by Massive Attack（アルバム）
Tricky脱退後のMassive Attackによる攻撃的で重厚な音像が広がる傑作。
6. “カヴァー”という名の革命
Trickyの「Black Steel」は、単なるリメイクではなく、“誰かの怒り”を“自分の声”で語り直すという、音楽におけるラディカルな行為である。この楽曲によって、Trickyは音楽の持つ表現の自由を最大限に利用し、社会と個人のあいだに横たわる“見えない壁”に銃弾を撃ち込んだ。
ヒップホップの政治性、パンクの破壊性、トリップホップの浮遊感——それらをすべて含みながら、Trickyは“語られない声”を音にした。その声は今もなお、世界の片隅で「戦うことを選んだ人々」の心に、深く響いている。
「Black Steel」は、声を持たない者たちへの代弁ではない。むしろ、“自分の声を奪い返す”ための音楽であり、聴く者自身が“何に怒るか”を問い直すための、ひとつのトリガーなのである。
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