
発売日: 2004年4月27日
ジャンル: オルタナティヴ・ロック、アート・ロック、フォークロック
『Trampin’』は、Patti Smith が2004年に発表したアルバムである。
復帰後の三部作ともいえる『Gone Again』『Peace and Noise』『Gung Ho』を経て、
その流れの先に位置する本作は、パティの精神性・社会性・家族への想いが
ひとつの静かな地平へと収束していく過程を捉えた作品である。
2000年代初頭のアメリカは、9.11以降の不安と分断が深まる中にあり、
“個人としてどう世界と向き合うか”というテーマが
多くのアーティストに共通する問いとなっていた。
パティ・スミスも例外ではない。
彼女は社会の混乱と個人的な記憶を重ね合わせ、
そこから“歩き続けること”を象徴する作品へと結晶させた。
『Trampin’』の特徴は、作品全体を包む静けさと敬虔な空気である。
前作までの鋭い怒りや大きな政治性は少し影を潜め、
代わりに、祈り・家族・共同体といったテーマに深く寄り添う姿がある。
タイトルの「Trampin’」はパティの母親が好きだったゴスペル曲に由来しており、
その“歩み続ける”というメッセージは
アルバム全体を貫くひとつの精神となっている。
サウンドはオルタナティヴ的な粗さを残しつつも、
アコースティック寄りの質感が増し、
言葉の余白を大切にした構成となっている。
70年代から続くPatti Smith Group のメンバーとの結束は健在で、
特にLenny Kayeのギターは、語りと歌の間に生まれる静かな呼吸を支えている。
『Trampin’』は、派手さを避けた静謐な作品でありながら、
“歩くこと自体が抵抗であり希望である”という深いメッセージを宿した
普遍的なアルバムなのだ。
全曲レビュー
1曲目:Jubilee
重厚なギターが鳴り響き、力強い幕開けをつくる。
祝祭的なタイトルとは対照的に、
音には反骨と覚醒の気配が漂い、アルバムの緊張感を提示する。
2曲目:Mother Rose
パティの母親への敬意を込めた優しい楽曲。
アコースティック中心のアレンジが温かく、
家庭の情景を描く詩が淡い光となって立ち上がる。
3曲目:Stride of the Mind
ミニマルなリズムの上で言葉が流れるように進む。
“歩くこと”を精神の動きと重ねた詩が印象的で、
本作のテーマが早くも具体的な形を取る曲である。
4曲目:Cartwheels
淡いフォーク調のメロディが広がる美しい一曲。
過ぎ去った景色や時間を柔らかく見つめるような情緒がある。
アルバムの中で最も穏やかで柔らかい質感を持つ。
5曲目:Gandhi
一転して重厚なギターと呪文のような語りが交錯する楽曲。
ガンジーという歴史的存在を扱いながらも、
パティの声が個人の祈りとして落とし込んでいるのが特徴。
社会性と精神性が混ざり合う代表曲。
6曲目:Trespasses
荒々しいリフが前に出るロック色の強い曲。
抑圧、罪、赦しといったテーマが複雑に絡み合い、
パティの詩が鋭く飛び込んでくる。
7曲目:My Blakean Year
William Blake の世界観とパティの精神が交差する名曲。
光と闇の両側を生きる姿勢を描いており、
“あなたのブレイク的な年もいつか訪れる”というメッセージが深く響く。
8曲目:Cash
Johnny Cash へのリスペクトを込めた一曲。
カントリーの影響が柔らかく差し込み、
音楽家同士の敬意がそのまま音像に滲む。
9曲目:Peaceable Kingdom
9.11後の世界を受け止めた静かな祈りの曲。
“平和な王国”という象徴を通じて、
失われたものと希望の残り火を描き出す。
本作でも特に詩の力が強い。
10曲目:Radio Baghdad
アルバムの中心となる長編。
イラク戦争を題材に、怒り・悲しみ・語りの奔流が一気に溢れ出す。
パティの声は叫びにも祈りにもなり、
社会への痛切なメッセージが刻み込まれた圧巻の楽曲。
11曲目:Trampin’
母の好きだったゴスペル曲のカバーで締めくくられる。
歩き続ける者への祝福と、
前へ進むための小さな明かりのような歌。
柔らかな余韻と希望がアルバムを包む。
総評
『Trampin’』は、Patti Smith の2000年代における最も重要な作品のひとつである。
怒り、祈り、社会への視線、そして家族への愛情。
そのすべてが静かに溶け合い、
彼女が“歩く者の詩人”として再び確立される瞬間を描いている。
90年代の復帰三作で描かれたテーマは、
ここでようやく落ち着くべき場所を見つけたかのようだ。
『Gone Again』の深い喪失、
『Peace and Noise』の社会との衝突、
『Gung Ho』の歴史との対話。
それらを経て、『Trampin’』では“歩き続けるという実践”が中心に置かれる。
サウンドはこれまで以上に柔らかく、
しかし語る言葉の強さは変わらない。
静と動のバランスが整い、
アルバム全体に祈りのようなリズムが流れている。
比較対象としては、
・R.E.M. の『Around the Sun』に見られる政治と祈りの交錯
・PJ Harvey の内省と社会性の混在
・Bruce Springsteen の“個人と共同体”をつなぐ表現
などが挙げられるが、
パティの作品は常に“詩”が核であり、
その独自性はどの時代にも属さない。
『Trampin’』が今も聴き継がれる理由は明確で、
混乱し続ける世界の中でも、
静かな歩みと祈りが希望の形になりうることを示しているからだ。
痛みや不安を抱えたまま、それでも歩くこと。
その普遍的なメッセージが、
パティの声を通じて深く心に届くのである。
おすすめアルバム(5枚)
- Horses / Patti Smith
詩とロックの原点を知るために必須。 - Gone Again / Patti Smith
喪失から再生への第一歩となる復帰作。 - Peace and Noise / Patti Smith
社会への視線と個人的祈りが交差する作品。 - Stories from the City, Stories from the Sea / PJ Harvey
都市と個人の精神性を描く名盤。 - Around the Sun / R.E.M.
静かな政治性が本作と共鳴する。
制作の裏側(任意セクション)
『Trampin’』の制作は、
パティの母親である Beverly Smith の死が大きな影響を与えている。
母への敬意、家族の記憶、祈りの文化遺産——。
それらがアルバムの静けさと優しさとなって滲み出ている。
「Radio Baghdad」は、当時のイラク戦争報道に憤りを感じたパティが
ほぼ即興に近い形で言葉を吐き出したとされる。
スタジオでは照明を落とし、
語りと叫びが一体になる瞬間を逃さないように録音が行われ、
その緊張感がそのまま作品に収められている。
タイトル曲「Trampin’」は、母が歌っていたゴスペルの記憶から
パティがずっと温めていたアイデアで、
アルバムの最後に置くことで
“歩き続ける者への祝福”というメッセージとして完成した。



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