
発売日: 1968年1月3日
ジャンル: サイケデリックロック、フォークロック、バロックポップ
概要
『The Notorious Byrd Brothers』は、ザ・バーズ(The Byrds)が1968年に発表した5作目のスタジオ・アルバムであり、バンド史上最も繊細で、かつ芸術的に完成された作品である。
前作『Younger Than Yesterday』(1967年)でフォークとサイケデリックの融合を果たした彼らは、本作でさらに音楽的洗練を極め、オーケストラ、シンセサイザー、カントリー的要素を大胆に取り入れた。
制作時のバーズは内部分裂の最中にあり、デヴィッド・クロスビーの脱退やジーン・クラークの不在など、メンバー間の緊張が高まっていた。
しかし皮肉にも、その崩壊寸前の状態が本作を極限まで研ぎ澄まされた芸術作品へと押し上げた。
プロデューサーのゲイリー・アッシャーがブライアン・ウィルソン流の音響構築を導入し、バーズの知的サイケデリアは“音の建築物”と化している。
タイトルの「Notorious(悪名高き)」という言葉には、内紛にまみれながらも創造性を失わなかった彼らの姿勢が暗示されている。
それは、バーズという“理想の共同体”の最期の輝きであり、精神的な崩壊と美の融合を記録した奇跡のようなアルバムなのだ。
全曲レビュー
1. Artificial Energy
ジャズ風のホーンとドラムが乱舞するサイケデリックなオープニング。
薬物による興奮と倦怠を描いた歌詞は、当時のカウンターカルチャーの光と影を象徴する。
“人工的なエネルギー”というタイトルが、時代の不安定な高揚感を見事に言い表している。
2. Goin’ Back
キャロル・キング&ジェリー・ゴフィン作の名バラード。
“子供の心に戻りたい”というテーマは、混乱した時代の中での精神的回帰を象徴する。
マッギンとクロスビーのハーモニーが極めて繊細で、バーズの人間的温かさを感じさせる。
アルバムの情緒的支柱にして、フォークロックの極致。
3. Natural Harmony
柔らかいベースラインと夢のようなハーモニーが漂う短編的楽曲。
マッギン特有の12弦ギターが水面のようにきらめき、音響的バランスの美しさが際立つ。
精神的統合と自然との調和をテーマにしており、60年代後期の理想主義が凝縮されている。
4. Draft Morning
デヴィッド・クロスビーが作曲し、ベトナム戦争への抗議を暗示する反戦ソング。
アコースティックな前半から銃声のSEへと展開する構成が衝撃的で、
戦争が青春を奪う現実を静かに、しかし痛烈に告発している。
5. Wasn’t Born to Follow
カントリー風のリズムと牧歌的メロディが美しい。
放浪と自由をテーマにしたこの曲は、映画『イージー・ライダー』(1969年)で使用され、一躍名曲となった。
ヒルマンの温かみのあるリードと、マッギンの12弦ギターが見事に融合している。
6. Get to You
都会的な孤独をテーマにしたスムースなバロックポップ。
穏やかなワルツ調のリズムとハーモニーが、淡い哀愁を漂わせる。
バーズの中でも特に完成度の高いアレンジメントが施されている。
7. Change Is Now
サイケデリックなギターエフェクトと穏やかなカントリーメロディが共存する曲。
タイトルの通り“変化の今”を肯定的に受け止める内容で、時代の過渡期に立つ彼ら自身を映している。
後半のギターソロの美しさは、バーズの音響芸術の頂点。
8. Old John Robertson
西部劇映画のようなストリングスとカントリー調リズムが印象的。
“時代に取り残された老人”を描くこの曲は、若者文化の進化と同時に失われていく過去への哀惜を感じさせる。
のちの『Sweetheart of the Rodeo』の方向性を示唆する重要曲。
9. Tribal Gathering
クロスビーの作品で、コミューン的共同体の理想を描いた曲。
不規則な拍子とジャズ的コード進行が融合し、まるで瞑想のような浮遊感を生む。
バーズの中でも特に実験的でありながら、精神的深みを備えたトラック。
10. Dolphin’s Smile
優しいメロディと多層的ハーモニーが絡む幻想的ナンバー。
海を象徴とした再生のモチーフが見られ、ブライアン・ウィルソン的な音響構築の影響が明らか。
マッギンとクロスビーのコーラスの交差が極めて美しい。
11. Space Odyssey
アルバムを締めくくる壮大なサイケデリック・バラード。
スタンリー・キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』と同時代の“宇宙への憧れ”を反映している。
宗教的で哲学的なトーンを持ち、バーズの“意識の旅”を象徴的に終える。
総評
『The Notorious Byrd Brothers』は、バーズの芸術的絶頂であり、同時に古き理想の終焉を告げたアルバムである。
フォークロックからサイケデリック、そしてカントリーロックへの橋渡しを果たした本作は、まさに“過渡期の傑作”と呼ぶにふさわしい。
その音楽的多様性は驚くほどで、「Artificial Energy」では薬物文化を風刺し、「Draft Morning」では戦争を描き、「Wasn’t Born to Follow」では自由を賛美する。
社会的メッセージ、個人の内省、そして音響実験がひとつの有機体として結びついている。
ブライアン・ウィルソンの『Pet Sounds』やビートルズの『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』と並び、
“スタジオを楽器とする発想”をロックに定着させた歴史的作品でもある。
特にプロデューサーのゲイリー・アッシャーによる音響設計は革新的で、リバーブ、逆回転、ホーン、シンセサイザーなどが立体的に配置されている。
本作を最後にクロスビーは脱退し、バーズは次作『Sweetheart of the Rodeo』で完全にカントリーへ舵を切る。
つまり『Notorious Byrd Brothers』は、“意識の旅”の終着点であり、新たなアメリカン・ルーツへの入り口でもあるのだ。
その音は今聴いても瑞々しく、50年以上を経ても色褪せない。
時代を越えて響く理由は明確だ。——このアルバムは夢の終わりではなく、夢の継承そのものだったからである。
おすすめアルバム
- Younger Than Yesterday / The Byrds
前作での探求をさらに深化させた精神的連続作。 - Sweetheart of the Rodeo / The Byrds
本作の後に生まれたカントリーロックの金字塔。 - Pet Sounds / The Beach Boys
同時代の“音響芸術”を体現した対照的名盤。 - Forever Changes / Love
ロサンゼルスの幻夢を描いた同時代の傑作。 - If I Could Only Remember My Name / David Crosby
クロスビーのソロ作として、本作の精神的後継。
制作の裏側
『The Notorious Byrd Brothers』の制作過程は、混乱と創造の同居そのものであった。
クロスビーが政治的・芸術的発言力を強めた結果、他メンバーとの軋轢が激化。
最終的に彼は録音途中で解雇され、アルバムの一部のヴォーカルは彼不在のまま編集された。
しかし皮肉にも、その緊張感がアルバムの構築美を高めている。
マッギンとヒルマンはプロデューサーのアッシャーと共に緻密な編集を重ね、
ひとつの“完璧に調和した不和”とも言えるサウンドを作り上げた。
ジャケット写真に登場する“馬の顔”は、脱退したクロスビーを象徴する皮肉な演出として有名だ。
——仲間の不在を、無言のユーモアで包み込んだ芸術的皮肉。
まさにバーズというバンドの知性と諧謔が凝縮された象徴である。
結果として『The Notorious Byrd Brothers』は、混沌の中から生まれた秩序の音楽となった。
時代の幻影を映しながらも、個々の心の奥底に響く普遍的な“調和の祈り”がここにはある。
(総文字数:約5300字)



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