
発売日: 1971年10月31日
ジャンル: プログレッシブ・ロック、サイケデリック・ロック、アンビエント
概要
『Meddle』は、ピンク・フロイドが1971年に発表したスタジオ・アルバムであり、彼らが音響的実験から構築的美学へと飛躍した作品として位置づけられる。
前作『Atom Heart Mother』(1970)のオーケストラ路線から一転、本作では“バンド自身の演奏”と“スタジオ技術”のみで新しい音の空間を描き出すことに挑戦した。
このアルバムは、フロイド中期の確立点として特別な意味を持つ。
長尺組曲「Echoes」は後の『The Dark Side of the Moon』(1973)や『Wish You Were Here』(1975)の原型とされ、
その構築力・叙情性・音響設計はいずれもフロイドの真髄を示している。
制作当時、メンバーはテーマを決めずにスタジオ実験を重ね、
サウンドの断片をテープでつなぎ合わせて楽曲を発展させた。
その中から生まれたリズム・モチーフやドローン音が、本作全体の統一感を形成している。
ロックという枠を超え、「空間と時間をデザインする音楽」としてのピンク・フロイドがここで完成したのだ。
全曲レビュー
1曲目:One of These Days
バンド史上屈指のオープニング・トラック。
ディレイをかけたベースの重低音が2本で絡み合い、
嵐のようなドラムとギルモアのスライド・ギターが一気に聴覚を支配する。
わずかなセリフ(“One of these days I’m going to cut you into little pieces.”)が狂気を暗示し、
無言の暴力性と緊張感を演出する。
フロイドの音響美学が“攻撃”の形で表出した代表例だ。
2曲目:A Pillow of Winds
前曲の轟音から一転して、穏やかなアコースティック・ナンバー。
ギルモアの柔らかな声とオープン・チューニングのギターが、夢の中を漂うような静けさを作り出す。
タイトルの“風の枕”は、変化と安息を同時に意味する詩的イメージで、
アルバム序盤の緊張をやさしくほぐしていく。
3曲目:Fearless
メジャーとマイナーが曖昧に揺れるコード進行が印象的。
ウォーターズ作詞・ギルモア歌唱による、内省的でありながら前向きなメッセージを含む。
終盤に挿入されるリヴァプール・サッカーファンの合唱「You’ll Never Walk Alone」は、
個と群れ、孤独と連帯を象徴する名演出である。
4曲目:San Tropez
軽快なピアノとスウィングするリズムが心地よい洒脱な曲。
南仏のリゾートを舞台にした都会的なウィットが漂い、
それまでの神秘的な曲群とは異なる、陽気で人間的な側面を見せる。
ウォーターズのユーモアと社会風刺がさりげなく混ざっている。
5曲目:Seamus
ギルモアの愛犬“シェイマス”の遠吠えをフィーチャーした実験的ブルース。
犬の鳴き声がリズムやメロディに溶け込み、笑いと奇妙さを同時に呼ぶ。
小品ではあるが、音響の遊びと生活感の共存がフロイドらしい。
6曲目:Echoes
アルバムB面全体を占める、23分超の大曲。
“海底の世界”を想起させるソナーノイズから始まり、
ギルモアのギターとライトのオルガンが絡み合いながら光を追うように展開する。
歌詞は“共鳴(Echoes)”をキーワードに、孤独な個が他者との共振を見出す物語を描く。
ギルモアとライトのボーカル・ハーモニーが心の奥底に響き、
中盤ではドローン的な無音とノイズの間を漂うアンビエント・セクションが訪れる。
その静寂が再びメロディへと再生する瞬間、
聴き手は“音の生と死”を体験するかのようなカタルシスに包まれる。
ギルモアのギター・ソロは、単なる技巧ではなく“空間の呼吸”そのものを聴かせる。
終盤で再び現れるテーマは、冒頭の孤独を包み込むように響き、
フロイドが人間の感情を“音の構造”として描いた最高峰の到達点である。
総評
『Meddle』は、ピンク・フロイドがサウンドの構築美と人間的叙情を完全に融合させた転換点である。
『Atom Heart Mother』のオーケストレーションから離れ、純粋にバンド自身の力で大空間を作り出した点が画期的だ。
また、『Ummagumma』や『More』での実験精神を引き継ぎながらも、音楽としてのまとまりと普遍性を獲得している。
アルバム全体には「自然」と「意識」を結ぶテーマが通底する。
風、水、海、動物といった自然音が、精神や記憶と溶け合い、
リスナー自身の内的風景を映し出す鏡のように機能している。
それは単なる環境音楽ではなく、“人間の感情が環境と共鳴する”という哲学的構造である。
「Echoes」はまさにその象徴であり、個と世界、孤独と共鳴の関係を音で描き切った。
この長大な曲によって、ピンク・フロイドは構造としての音楽表現を手に入れ、
以後のコンセプト・アルバム群への扉を開いた。
『Meddle』なくして『The Dark Side of the Moon』は存在しない。
また、B面と対を成すA面の多彩さも見逃せない。
実験、牧歌、都市的ユーモア――それぞれが異なる顔を見せながらも、
“音の響き”という一本の糸で緩やかに繋がっている。
この統一感こそが、ピンク・フロイドが真に成熟した証である。
おすすめアルバム
- Atom Heart Mother / Pink Floyd
前作。構築的志向の出発点として本作の前段階にあたる。 - The Dark Side of the Moon / Pink Floyd
本作で得た音響構成を完成形に昇華した1973年の大傑作。 - Wish You Were Here / Pink Floyd
“Echoes”で芽生えた人間的叙情をさらに深化させた作品。 - Close to the Edge / Yes
同時期のプログレ黄金期を代表する長尺組曲との対照的比較として。 - In a Silent Way / Miles Davis
即興とアンビエントの交錯という点で本作と思想的に通じる。
制作の裏側
『Meddle』の制作はロンドンのアビイ・ロード・スタジオで行われ、
「Theme from Nothing」という無題セッションから始まった。
メンバーは無数の音響実験を録音し、テープ編集によって構成を練り上げる。
特に「Echoes」は、わずかなピアノの“Ping”音から生まれた偶然の発見を発展させて作られた。
その偶発性を音楽構造に変換するプロセスこそが、
ピンク・フロイドの“実験を詩へ変える力”を象徴している。
歌詞の深読みと文化的背景
1971年の英国は、サイケデリック文化が終焉し、
ロックは“内面と構造”を追求する時代へと移行していた。
ウォーターズは社会や政治よりも“個と世界のつながり”を描くようになり、
『Meddle』はその最初の形である。
「Echoes」は、言語の壁を越えたコミュニケーションへの希望を描き、
“全ての存在は響き合っている”という東洋的思想を感じさせる。
それは当時の西欧文化が東洋哲学に惹かれた時代背景とも重なり、
ピンク・フロイドの音楽を単なるロックではなく“思想としての音響”へと押し上げた。
ビジュアルとアートワーク
アルバム・ジャケットは、耳のクローズアップを加工した抽象的なデザインで、
音波の振動や“聴覚体験そのもの”を象徴している。
つまり『Meddle』は、見る音楽でも聴くアートでもなく、
「聴くこと=感じること」そのものをテーマにした作品なのである。



コメント