
発売日:2010年6月22日
ジャンル:ブルース、ソウル・ブルース、メンフィス・ブルース、R&B、ルーツ・ミュージック
概要
Cyndi Lauperの『Memphis Blues』は、2010年に発表されたスタジオ・アルバムであり、彼女のキャリアにおいて非常に重要なルーツ回帰作品である。1980年代に『She’s So Unusual』でポップ・スターとして世界的成功を収め、「Girls Just Want to Have Fun」「Time After Time」「True Colors」などの名曲によってニュー・ウェイヴ/ポップの象徴となったLauperが、本作ではアメリカ音楽の源流であるブルースへ正面から向き合っている。
Cyndi Lauperは、派手なファッションや個性的な声、演劇的な表現によって語られることが多いアーティストである。しかし、彼女の歌唱にはもともとR&B、ソウル、ロックンロール、初期ポップスの影響が濃く含まれていた。『She’s So Unusual』でも、彼女の声は単なる80年代シンセポップの枠に収まらず、ブルースや古いショービジネス的な表情を持っていた。『Memphis Blues』は、その根にある音楽的背景を前面に出した作品といえる。
アルバム・タイトルにある「Memphis」は、アメリカ音楽史において極めて重要な都市である。メンフィスは、ブルース、ソウル、R&B、ロックンロール、ゴスペルが交差した場所であり、B.B. King、Howlin’ Wolf、Elvis Presley、Otis Redding、Al Green、Booker T. & the M.G.’s、Stax Records、Sun Recordsなど、数多くの音楽的遺産と結びついている。Lauperがこの地の名前を掲げてブルース・アルバムを作ったことは、単なるジャンル実験ではなく、アメリカン・ポピュラー音楽の源流へ敬意を払う行為である。
本作は、ブルースの古典曲を中心に構成されている。Robert Johnson、Memphis Minnie、B.B. King、Little Walter、Muddy Waters、Louis Jordanなど、ブルースとR&Bの歴史に深く関わる楽曲が取り上げられている。さらに、B.B. King、Charlie Musselwhite、Allen Toussaint、Ann Peebles、Jonny Langといった重要なミュージシャンが参加しており、単なるポップ・シンガーによるブルース風アルバムではなく、ブルースの伝統と実際に対話する作品となっている。
Cyndi Lauperの声は、ブルースというジャンルにおいて非常に興味深く機能している。彼女の声は、伝統的なブルース・シンガーの低く枯れた声とは異なる。高く、鋭く、時に鼻にかかり、時に泣き叫ぶように響く。しかし、その声には強い表情があり、感情を誇張しながらも真実味を持たせる力がある。ブルースは単に渋い声で歌えば成立する音楽ではない。痛み、ユーモア、欲望、皮肉、粘り強さをどう表現するかが重要であり、Lauperの個性的な歌唱はその点で十分に説得力を持っている。
『Memphis Blues』の意義は、Cyndi Lauperが自分のポップ・スターとしての個性を捨ててブルースに寄せるのではなく、自分の声とキャラクターを保ったままブルースへ入っている点にある。彼女はブルースを博物館的に再現するのではない。むしろ、古い曲を自分の語り口で歌い、ユーモアや演劇性、女性としての視点を加える。これにより、本作は懐古的なカバー集ではなく、Cyndi Lauper自身の解釈によるブルース・アルバムとして成立している。
歌詞面では、恋愛の痛み、裏切り、性的な駆け引き、孤独、社会的苦しみ、ユーモア、旅、欲望が中心となる。ブルースは悲しみだけの音楽ではない。悲しみを笑いに変え、苦しみをリズムに変え、個人の痛みを共同体的な表現へ変える音楽である。Cyndi Lauperはその性質をよく理解しており、曲ごとに大げさに泣くのではなく、時に茶目っ気を持ち、時に強く、時に官能的に歌い分けている。
1980年代のCyndi Lauperを知るリスナーにとって、『Memphis Blues』は意外な作品に感じられるかもしれない。しかし、彼女のキャリア全体を見れば、これは決して唐突な方向転換ではない。彼女は常に、ポップ、ロック、ニュー・ウェイヴ、バラード、ダンス、ショー・チューン、カントリーなど、さまざまなジャンルを自分の声で染めてきたアーティストである。『Memphis Blues』は、その柔軟性と音楽的ルーツへの理解を示す成熟した作品である。
日本のリスナーにとって本作は、ブルース入門としても聴きやすい。伝統的なブルースの重厚さに慣れていない場合でも、Cyndi Lauperの明るく表情豊かな声が入口になる。一方で、参加ミュージシャンや選曲を通じて、メンフィス・ブルースやソウル・ブルースの深い世界にも触れることができる。つまり本作は、ポップ・ファンとブルース・ファンをつなぐ橋のような作品である。
全曲レビュー
1. Just Your Fool
オープニング曲「Just Your Fool」は、Little Walterで知られるブルース・ナンバーであり、アルバムの幕開けとして非常に効果的な一曲である。タイトルは「ただのあなたの愚か者」という意味を持ち、恋に振り回される人物の自嘲と執着が歌われる。ブルースにおいて、恋に負けること、相手に翻弄されることは重要なテーマであり、この曲はその伝統にしっかり根ざしている。
音楽的には、ハーモニカを中心とした軽快なブルース・シャッフルである。Cyndi Lauperの歌唱は、冒頭から明るく、少しコミカルで、同時に切実である。彼女は自分が「愚か者」であることを嘆くだけでなく、その愚かさを半ば楽しんでいるようにも聴こえる。このユーモアがブルースらしい。
歌詞では、相手に利用されていることを分かっていながら、そこから抜け出せない人物の姿が描かれる。これは単純な悲劇ではなく、人間の弱さを含んだ歌である。Lauperの声は、その弱さを過度に重くせず、軽やかに表現する。ブルースの苦味とポップな親しみやすさが最初から結びついている。
「Just Your Fool」は、『Memphis Blues』が単なる渋いブルース集ではなく、Lauperのキャラクターを活かした作品であることを示すオープニングである。歌の中に痛みと笑いが同時にある。
2. Shattered Dreams
「Shattered Dreams」は、アルバムの中でも感情の陰影が強い楽曲である。タイトルは「砕けた夢」を意味し、失われた希望、壊れた恋、人生の挫折を想起させる。ブルースにおいて夢が砕けることは、単なる個人的な悲しみではなく、生きる現実そのものを表す。
音楽的には、ゆったりとしたブルース・バラードの要素があり、Cyndi Lauperの声の表情が前面に出る。彼女の高く震えるような声は、こうした曲で特に効果的である。伝統的なブルース・シンガーのような重低音ではなく、ひび割れた感情を鋭く伝える声として機能している。
歌詞では、期待していたものが失われ、夢が破れた後の心情が描かれる。重要なのは、Lauperが悲しみを過剰に美化しない点である。彼女は傷ついた人物として歌うが、その声にはまだ立ち上がる力がある。ブルースの本質は、悲しみをただ記録するのではなく、悲しみの中で歌い続けることにある。
「Shattered Dreams」は、本作の中でCyndi Lauperの感情表現の深さを示す曲である。ポップ・スターとしての明るいイメージの奥にある、痛みを歌う能力がよく表れている。
3. Early in the Mornin’ feat. Allen Toussaint and B.B. King
「Early in the Mornin’」は、Louis Jordanなどで知られるリズム&ブルース/ブルースの古典的な楽曲であり、本作ではAllen ToussaintとB.B. Kingが参加している。朝早くという時間は、ブルースにおいて非常に象徴的である。夜の孤独や酒場の時間が終わり、現実が再び始まる瞬間として描かれることが多い。
音楽的には、ニューオーリンズ的なピアノの感覚と、B.B. Kingのギターの存在感が大きい。Allen Toussaintの参加によって、曲にはメンフィスだけでなくニューオーリンズR&Bの洗練も加わっている。B.B. Kingのギターは、少ない音数でも強い感情を伝える。Cyndi Lauperの声は、その伝統的な演奏陣の中で、明るく、しかし敬意を持って立っている。
歌詞では、朝早くから恋人や生活の問題に向き合う人物の姿が描かれる。ブルースの世界では、朝は希望の始まりであると同時に、問題が再び見えてくる時間でもある。Lauperはその感覚を、重くなりすぎず、リズミックに歌っている。
「Early in the Mornin’」は、本作の中でも特に歴史的な重みを持つ楽曲である。B.B. Kingと共演することで、Lauperのブルースへの敬意が明確に示されている。同時に、彼女自身の個性も失われていない。
4. Romance in the Dark
「Romance in the Dark」は、Lil Greenによって知られるブルース・ナンバーであり、夜のロマンス、官能性、秘密めいた関係をテーマにしている。タイトルが示す通り、暗闇の中の恋愛が描かれるが、そこには単なる甘さだけでなく、危うさや欲望も含まれている。
音楽的には、スロウでムーディーなブルースである。Cyndi Lauperの歌唱は、ここで非常に演劇的に機能している。彼女は曲の中の人物を演じるように歌い、声の揺れや間を使って、夜の空気を作り出している。ブルースの官能性を、過度に重くせず、少し芝居がかった魅力として表現している。
歌詞では、暗闇の中での恋愛が描かれる。暗闇は、社会的な視線から離れる場所であり、同時に本心や欲望が現れる場所でもある。Lauperは、そうした密やかな感情を、女性の視点から生き生きと歌う。ここには、彼女のポップ時代から続く性的自己決定の感覚も見える。
「Romance in the Dark」は、『Memphis Blues』の中でLauperの表現力が特に映える曲である。ブルースをただ古典として再現するのではなく、彼女自身の演劇性によって現代的に聴かせている。
5. How Blue Can You Get? feat. Jonny Lang
「How Blue Can You Get?」は、B.B. Kingの代表的なブルース・ナンバーとして知られる楽曲であり、タイトルは「どこまで憂鬱になれるのか」「どれほどブルーになれるのか」という意味を持つ。ブルースという音楽そのものを自問するようなタイトルであり、本作の中でも重要な位置を占める。
本作ではJonny Langが参加しており、若い世代のブルース・ロック的な感覚が加わっている。音楽的には、ギターの表情とヴォーカルの掛け合いが中心である。Cyndi Lauperの声は、伝統的なブルース・シンガーとは異なるが、この曲ではその違いがむしろ面白い。彼女の高い声が、ブルースの悲しみを鋭く、時に皮肉っぽく響かせる。
歌詞では、相手に尽くしても報われない人物の苦しみが描かれる。ブルースの典型的なテーマであるが、曲にはユーモアもある。どれだけひどい目に遭っても、それを歌に変えることで、語り手は完全には敗北しない。この点がブルースの強さである。
「How Blue Can You Get?」は、Cyndi Lauperがブルースの古典に挑むうえで、単なる模倣ではなく自分の声で解釈していることを示す楽曲である。ブルースの深い悲しみと、Lauper特有の表情豊かな歌唱が結びついている。
6. Down Don’t Bother Me feat. Charlie Musselwhite
「Down Don’t Bother Me」は、タイトルからしてブルースらしい粘り強さを持つ楽曲である。「落ち込むことは私を悩ませない」とでも解釈でき、人生の苦しみに慣れながら、それに完全には負けない態度が示されている。ブルースの精神性をよく表した曲である。
Charlie Musselwhiteのハーモニカ参加が、曲に深いブルース感を与えている。彼のハーモニカは、声のように泣き、曲の感情を支える。Cyndi Lauperの声は、そのハーモニカと対話するように響く。彼女はブルースの伝統に飲み込まれるのではなく、自分の声でそこに入っていく。
歌詞では、苦しみや落ち込みが人生にあることを認めながら、それでも前へ進む姿勢が描かれる。ブルースは悲しみを語る音楽であると同時に、悲しみに対する耐性を作る音楽でもある。この曲では、その「負けない態度」が重要である。
「Down Don’t Bother Me」は、本作の中でも特にブルースの根本的な精神を感じさせる楽曲である。Lauperの明るさとMusselwhiteの渋いハーモニカが、良い対比を作っている。
7. Don’t Cry No More
「Don’t Cry No More」は、泣くことをやめる、あるいはこれ以上泣かないという決意をテーマにした楽曲である。ブルースには涙がつきものだが、その涙を止めることもまたブルースの重要なテーマである。悲しみから立ち上がる瞬間が、この曲にはある。
音楽的には、比較的軽快で、リズム&ブルース的な明るさを持つ。Cyndi Lauperの歌唱も、悲しみを引きずるより、前を向くような表情を持つ。曲は重苦しくならず、むしろ感情を解放するように進む。
歌詞では、過去の痛みや涙に区切りをつける姿勢が歌われる。これはCyndi Lauperのキャリア全体にも通じるテーマである。彼女は傷つきやすい感情を隠さないが、それを単なる悲劇にしない。歌うことによって、涙は力へ変わる。
「Don’t Cry No More」は、『Memphis Blues』において、ブルースの回復力を示す楽曲である。悲しみを認めたうえで、それ以上泣かないと決める。そのシンプルな決意が、曲に力を与えている。
8. Rollin’ and Tumblin’ feat. Ann Peebles
「Rollin’ and Tumblin’」は、Muddy Watersなどで知られるブルースの古典であり、転がり、もがき、落ち着かない人生や恋愛の状態を描く楽曲である。本作ではAnn Peeblesが参加しており、ソウル・ブルースの濃厚な味わいが加わっている。
音楽的には、伝統的なブルースのリフを土台にしながら、LauperとPeeblesの声の対比が強い魅力を生んでいる。Ann Peeblesの声には、メンフィス・ソウルの深みがあり、Lauperの鋭く個性的な声と組み合わさることで、曲に厚みが出る。
歌詞では、心が落ち着かず、転がり続けるような状態が描かれる。これは恋愛の苦しみであり、人生そのものの不安定さでもある。ブルースにおいて、身体の動きはしばしば心の状態を表す。「Rollin’ and Tumblin’」という言葉は、まさにその不安定な生の感覚を示している。
「Rollin’ and Tumblin’」は、本作の中でも特にルーツ色の強い曲である。Cyndi Lauperがブルースの古典を、女性同士の声の掛け合いによって新しい形で表現している点が興味深い。
9. Down So Low
「Down So Low」は、非常に深い落ち込み、底まで沈んだ感情をテーマにしたブルース・ナンバーである。タイトルは「こんなに低く沈んで」という意味を持ち、失恋や孤独、自己喪失を描くブルースの王道的な題材に向き合っている。
音楽的には、ゆったりとしたブルース・バラードであり、Cyndi Lauperの声の感情表現が中心になる。彼女の声は、ここで高く震えながら、痛みを率直に伝える。伝統的な深みとは異なるが、非常に人間的な脆さがある。
歌詞では、相手に傷つけられ、精神的に深く落ち込んだ人物の姿が描かれる。しかし、曲として歌われることで、その痛みはただの沈黙ではなくなる。ブルースは、自分がどれほど低く沈んでいるかを歌うことで、逆説的にそこから声を上げる音楽である。
「Down So Low」は、『Memphis Blues』の中でも最も切実な感情を持つ曲のひとつである。Lauperの声の鋭い傷つきやすさが、曲のテーマとよく合っている。
10. Mother Earth feat. Allen Toussaint
「Mother Earth」は、自然、人生、人間の小ささ、そしてすべての命が最終的に大地へ戻るというテーマを持つ楽曲である。ブルースには、個人的な恋愛や苦しみだけでなく、人間存在そのものを見つめる視点もある。この曲はその広い視野を示している。
Allen Toussaintの参加により、曲にはニューオーリンズ的な深みと洗練が加わっている。ピアノの響きは穏やかでありながら、人生の重さを感じさせる。Cyndi Lauperの歌唱は、ここではやや抑えられ、祈りのような雰囲気を持つ。
歌詞では、人間がどれほど成功しても、どれほど苦しんでも、最終的には母なる大地へ帰るという感覚が示される。これは、ブルースの個人的な痛みを超えた、普遍的な死生観につながる。Lauperはそのテーマを大げさにではなく、静かに歌っている。
「Mother Earth」は、『Memphis Blues』に哲学的な深みを加える楽曲である。恋愛や日常のブルースから、生命と大地のブルースへ視野が広がる重要な曲である。
11. Crossroads feat. Jonny Lang
「Crossroads」は、Robert Johnsonの伝説と深く結びついたブルースの古典であり、ブルース史の中でも特に象徴的な楽曲である。十字路は、選択、運命、悪魔との契約、音楽的才能、旅、孤独を象徴する場所として語られてきた。本作においてこの曲を取り上げることは、ブルースの神話そのものに触れる行為である。
Jonny Langの参加により、曲にはブルース・ロック的なエネルギーが加わる。ギターは力強く、Lauperの声はその上で緊張感を持って響く。彼女はRobert Johnson的な深い南部ブルースの声とは異なるが、その違いを隠さず、自分の表現として歌っている。
歌詞では、十字路に立ち、助けを求める人物の姿が描かれる。これは単なる場所ではなく、人生の分岐点であり、魂の危機の場所である。Cyndi Lauperがこの曲を歌うことで、ポップ・スターとしての彼女もまた、音楽の源流に立ち返り、自分の位置を問い直しているように聴こえる。
「Crossroads」は、本作の中でも最も象徴的な選曲である。ブルースの神話とCyndi Lauperの個性が交差する曲であり、アルバム全体のルーツ回帰の意味を強く示している。
12. Wild Women Don’t Have the Blues
アルバムの最後を飾る「Wild Women Don’t Have the Blues」は、女性の自由と強さをテーマにしたブルース・ナンバーであり、Cyndi Lauperに非常によく合った終曲である。タイトルは「奔放な女にはブルースなんてない」という意味を持ち、社会の規範に従わない女性の誇りとユーモアを表している。
音楽的には、クラシックなブルースの雰囲気を持ちながら、Lauperの演劇的な歌唱が曲に強い個性を与えている。彼女はこの曲を、単なる古い女性ブルースの再現としてではなく、自分自身のキャリアと重ねて歌っているように聴こえる。1980年代から一貫して「普通ではない女性」として生きてきた彼女にとって、この曲のメッセージは自然である。
歌詞では、従順で静かな女性像から離れ、自分の欲望や自由を持つ女性が描かれる。ブルースはしばしば女性の痛みを歌うが、この曲では、その痛みに支配されない女性の姿がある。奔放さは軽薄さではなく、社会の制限を超えて生きる力である。
「Wild Women Don’t Have the Blues」は、『Memphis Blues』を締めくくるにふさわしい楽曲である。Cyndi Lauperのキャリア全体にある自由、反抗、ユーモア、女性の自己決定のテーマが、ブルースの伝統と結びついている。終曲として非常に意味のある一曲である。
総評
『Memphis Blues』は、Cyndi Lauperが自らの音楽的ルーツに深く向き合った成熟作である。1980年代のポップ・アイコンとしての彼女を知るリスナーにとって、本作は一見意外に見えるかもしれない。しかし、彼女の声の個性、演劇性、R&Bや古いポップスへの親和性を考えると、ブルースへの接近は自然な流れでもある。
本作の魅力は、伝統への敬意とCyndi Lauperらしさの両立にある。彼女はブルースを完全に自分のスタイルへ変形しすぎることもなく、逆に自分の個性を消して古典の再現に徹することもない。B.B. King、Charlie Musselwhite、Allen Toussaint、Ann Peebles、Jonny Langといったゲストとの共演を通じて、ブルースの伝統に敬意を払いながら、自分の声を堂々と置いている。
Cyndi Lauperの声は、本作で改めて強い表現力を持つことが分かる。ブルースは、技巧的にうまく歌えばよい音楽ではない。歌い手がどのように痛み、ユーモア、欲望、疲労、諦め、希望を声に乗せるかが問われる。Lauperの声は非常に個性的で、時に癖が強いが、その癖こそがブルースの表情と結びつく。きれいに整った声ではなく、感情がはみ出す声であることが、本作では強みになっている。
選曲もよく考えられている。Little Walter、B.B. King、Robert Johnson、Muddy Waters、Memphis Minnie系の楽曲を含み、シカゴ・ブルース、メンフィス・ブルース、R&B、ソウル・ブルースの文脈が幅広く示されている。『Memphis Blues』というタイトルではあるが、実際にはメンフィスを中心に、広いブルースの歴史へ目配りした作品である。
本作の中で特に重要なのは、女性の視点でブルースを歌っている点である。ブルースの歴史には、多くの偉大な女性シンガーが存在する。Bessie Smith、Memphis Minnie、Big Mama Thornton、Koko Taylorなど、女性たちは早くから欲望、痛み、労働、暴力、自由を歌ってきた。Cyndi Lauperはその系譜に、自分のポップ・スターとしての経験を持ち込んでいる。「Wild Women Don’t Have the Blues」は、その意味で本作の結論にふさわしい。
一方で、『Memphis Blues』は、伝統的なブルース・ファンから見れば、ややポップで軽い部分もある。Cyndi Lauperの声や表現は、古典的なブルースの「渋さ」とは異なるため、好みが分かれる可能性がある。しかし、この作品の目的は、古いブルースをそのまま再現することではない。Cyndi Lauperという個性を通して、ブルースの楽曲を現代の聴き手へ開くことにある。その点では、本作は非常に成功している。
『Memphis Blues』は、Cyndi Lauperのキャリアにおける再評価にもつながる作品である。彼女はしばしば80年代のカラフルなポップ・スターとして記憶されがちだが、本作を聴くと、彼女がジャンルを超えて楽曲を解釈できる本格的なシンガーであることが分かる。ポップ、バラード、ニュー・ウェイヴ、ブルースを問わず、彼女は声の演劇性と感情表現によって曲を自分のものにする。
日本のリスナーにとって、本作はブルースの重厚な歴史に入る入口としても有効である。Robert JohnsonやMuddy Watersの原曲へ進む前に、Cyndi Lauperの親しみやすい歌唱を通じてブルースのテーマや形式に触れることができる。逆に、すでにブルースに親しんでいるリスナーにとっては、ポップ・シンガーがどのようにブルースを解釈するかを楽しめる作品である。
アルバム全体には、悲しみだけではなく、生きる力がある。恋に負け、夢が砕け、朝早くから現実に向き合い、十字路に立ち、それでも歌い続ける。これがブルースである。Cyndi Lauperは、その精神を自分の声で表現している。彼女のブルースは、暗く沈むだけではなく、色彩とユーモアを持っている。
総じて、『Memphis Blues』は、Cyndi Lauperの成熟した歌手としての実力を示す優れたブルース・アルバムである。ポップ・スターとしての個性を保ちながら、アメリカ音楽の深い伝統に敬意を払った作品であり、彼女のディスコグラフィの中でも独自の位置を占めている。ブルースの痛み、笑い、官能、粘り強さを、Cyndi Lauperならではの声で現代に響かせた一枚である。
おすすめアルバム
1. Cyndi Lauper – She’s So Unusual
Cyndi Lauperのデビュー作であり、彼女の個性的な声とキャラクターを世界に知らしめた代表作。『Memphis Blues』とはジャンルが大きく異なるが、Lauperの歌唱の演劇性や古いポップスへの親和性はすでにここに表れている。
2. Cyndi Lauper – True Colors
Cyndi Lauperのセカンド・アルバム。表題曲のバラードを中心に、彼女の情感豊かな歌唱と社会的なまなざしが強く表れた作品である。『Memphis Blues』で見せる包容力や感情表現の前段階として聴く価値がある。
3. B.B. King – Live at the Regal
ブルース・ギターと歌唱の金字塔的ライブ・アルバム。『Memphis Blues』でB.B. Kingが参加していることを踏まえると、彼の本質的な魅力を知るために重要である。少ない音数で深い感情を伝えるブルースの力が味わえる。
4. Memphis Minnie – Queen of the Country Blues
女性ブルースの重要人物Memphis Minnieの代表的な録音をまとめた作品。女性がブルースの中で欲望、痛み、自立をどのように歌ってきたかを理解するうえで重要であり、『Memphis Blues』におけるLauperの女性視点ともつながる。
5. Etta James – At Last!
ブルース、R&B、ソウル、ポップを横断した女性ヴォーカルの名盤。Cyndi Lauperとは声質が異なるが、ジャンルを越えて感情を強く伝える女性シンガーとして深く関連する。ブルースとポップの接点を理解するために有効な作品である。

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