1. 歌詞の概要
「Cattle and Cane」は、オーストラリアのインディーポップ・バンド、The Go-Betweensが1983年に発表したセカンド・アルバム『Before Hollywood』に収録された楽曲であり、バンドの共同創設者であるグラント・マクレナンによる自伝的な詞世界が色濃く反映された代表作である。
楽曲は、幼少期の記憶と大人になってからの視点を交錯させながら、「帰郷」と「時間の流れ」を静かに、しかし深く掘り下げていく。タイトルの“Cattle(牛)”と“Cane(サトウキビ)”は、彼が育ったクイーンズランド州の田園風景を象徴する言葉であり、それらのイメージを通して、故郷の土の匂いや、家族との記憶、時の不可逆性といったモチーフが次々と呼び起こされる。
とりわけこの曲が印象的なのは、時間軸が流動的に描かれている点にある。現在から過去へ、記憶から現実へ、視点は何度も移り変わりながら、あたかも夢の中で旅をしているかのような感覚を呼び起こす。
それは、成長するということが、ただ前進することではなく、失われたものを抱え続けることでもあると語っているかのようだ。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲の作詞者であるグラント・マクレナンは、オーストラリア北部のクイーンズランドで少年時代を過ごした。彼の父は警察官であり、グラントがまだ幼い頃に事故死している。「Cattle and Cane」は、その父との記憶や、彼が育った土地の風景をもとに書かれた極めて私的な詩であり、同時に、The Go-Betweensというバンドが持つ詩的リアリズムの方向性を決定づけた楽曲でもある。
音楽的には、ロバート・ヴァージーンズによるポリリズム的なギターのフレーズと、Lindy Morrisonの複雑なドラムパターンが特徴的であり、リズムの流動性が、歌詞の時間軸の揺らぎとシンクロしている。メロディの明快さと構造の知的さが共存しており、1980年代のインディーポップにおいて、最も文学的な楽曲のひとつとして今も高く評価されている。
なお、この曲はオーストラリア国内では当初ほとんどヒットしなかったが、イギリスの音楽誌『NME』では1983年の年間ベストシングル第12位に選ばれるなど、海外での評価は高く、後年再評価の機運が高まっていった。
3. 歌詞の抜粋と和訳
以下に、「Cattle and Cane」の印象的なフレーズを抜粋し、その日本語訳を添える。
I recall a schoolboy coming home / Through fields of cane
→ サトウキビ畑を通って家へ帰る、ひとりの少年の姿を思い出すTo a house of tin and timber
→ ブリキと木でできた、あの家へAnd in the sky / The rain has fallen
→ 空には雨が降っていたHe remembers the first time he took a woman
→ 彼は、初めて女性を抱いた夜のことを覚えているHe goes out at night with his father’s torch / On the cattle train
→ 父の懐中電灯を持って夜の外へ 家畜列車に乗って
引用元:Genius Lyrics – The Go-Betweens “Cattle and Cane”
詩はまるで記憶のスナップショットのように断片的で、直接的な感情の表現は避けられているが、それによってむしろ、感情の浸透圧が高まっているように感じられる。
4. 歌詞の考察
「Cattle and Cane」は、過去の記憶と現在の自我とのあいだを行き来するように構成されており、少年時代の風景と、青年期の性、家族の記憶、さらには“喪失”の感覚が、あえて明確に区切られることなく滑らかに繋がれている。
この歌の時間軸は、論理的な線としてではなく、感情の連鎖として機能している。過去を思い出す行為は、単なる懐古ではなく、それによって“今の自分”がどう形成されてきたのかを再確認する行為なのだ。特に「父の懐中電灯を持って出かける」という描写には、父を失った子が、その不在を背負って生きていく姿が静かに表現されている。
また、オーストラリアという土地の持つ、開放的でありながらも孤独を感じさせる広大な風景が、歌詞の随所に滲んでいる。それはただの田舎風景ではなく、“隔絶された時間”としての象徴であり、都市へ出てきた語り手がもう二度と戻れない“原風景”なのだ。
この曲は、個人的な体験を描きながら、同時にすべての人間が持つ“戻れない場所”への郷愁を照らし出している。その意味で、「Cattle and Cane」は、“個”と“普遍”の間に架けられた橋のような作品であり、聴き手一人ひとりの記憶をも優しく照らすような力を持っている。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- So Long, Marianne by Leonard Cohen
個人的な回想を通して、別れと再生を詩的に描いたバラッド。 - Waterloo Sunset by The Kinks
都市生活と孤独、そして静かな慰めを描いたロンドンの叙情詩。 - Pastel Blue by Everything But The Girl
過去の関係に漂うメランコリーと諦めを、繊細なトーンで描いた一曲。 - New Slang by The Shins
青春時代とその終わり、変わっていく世界との距離感を描いたインディー・フォーク。 -
Desperado by Eagles
若さと自由の背後にある孤独と求める居場所への渇望を語るアメリカン・バラッド。
6. “戻れない場所”を静かに描く記憶の詩
「Cattle and Cane」は、The Go-Betweensの全キャリアにおいても、最も深く、最も個人的な一曲である。それは、誰もが心のどこかに持っている“帰りたいけれど帰れない場所”、そして“あの頃の自分”を、決して説明しすぎず、しかし確かにそこにあるものとして描き出している。
この曲は、過去を美化せず、今との距離を冷静に見つめながらも、それでもなお過去に光を当てようとする――その行為自体が、生きるということの繊細な本質に迫っている。
「記憶は過ぎ去るためではなく、抱えながら進むためにある」
そう語りかけるようなこの曲は、今日もまた、静かに誰かの心を揺らしている。
それは、音楽が“場所”になりうるという事実を、最も美しく証明する詩のかたちである。
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