
発売日: 1994年6月14日
ジャンル: オルタナティブ・ロック、パンクロック、グランジ
概要
『Pure and Simple』は、Joan Jett & The Blackheartsが1994年に発表した通算8作目のスタジオ・アルバムであり、グランジとライオット・ガールの時代における“オリジナル・フェミニスト・ロッカー”の意地と再定義が鮮やかに刻まれた作品である。
Nirvanaが全盛を極めた90年代初頭、女性たちがDIY精神でラディカルな声を上げ始めていた──Bratmobile、Bikini Kill、Sleater-Kinney。
Joan Jettはその動きの“母”のような存在としてリスペクトされると同時に、その新しい流れと共鳴しながらも、自らのロックンロールを貫く強い意思を表明したのが本作だった。
プロデュースはJoan自身と長年の相棒Kenny Lagunaに加え、Bikini KillのKathleen HannaやBabes in ToylandのKat Bjellandなど、当時最前線にいたフェミニスト・ロックの中心人物たちが多数参加。
そのため、本作は単なる“Joan Jettのアルバム”ではなく、フェミニズム×パンク×ロックの交差点としての集合的マニフェストでもある。
商業的には大ヒットとはいかなかったが、時代の空気を最も鋭く反映したJoan Jettの重要作であることは疑いようがない。
全曲レビュー
1. Go Home
オープニングからして、Joan Jett史上最もラディカルな一曲。
Kathleen Hannaが作詞を手がけたこの曲は、性暴力とその後の社会の冷たさを告発するフェミニズム・パンクの衝撃波。
Joanの声は怒りに満ちているが、同時に凛とした静けさをも湛え、鋭く胸に突き刺さる。
「家に帰れ」と繰り返すその言葉は、被害者ではなく加害者への命令だ。
2. Eye to Eye
ギターのカッティングとハーモニーが印象的な、ポップ寄りのミディアム・ロック。
だが歌詞はシビアで、対等な関係を築けない愛の矛盾を描く。
Joanの低音が物語の中に説得力を与え、感情の浮き沈みがそのまま音に乗っている。
3. Spinster
社会から取り残された“未婚女性”を意味する言葉を、あえてタイトルに掲げる反転のロックンロール。
Joanの「私は“スピンスター”で結構」とでも言わんばかりの開き直りが、ライオット・ガールたちの精神と完全に共振。
パンクロックのスピードとガレージ感が全開の一曲。
4. Torture
エッジの効いたギターとヘヴィなリズムで展開される、陰鬱な情念ロック。
愛の中にある支配、依存、そして痛みを“拷問(Torture)”として描き出す。
Joan Jettが持つ**“強さの中の脆さ”**が最も鮮明に浮かび上がる楽曲のひとつ。
5. Rubber & Glue
ジョーンの過去作ではあまり見られなかった言葉遊びとポップ・パンク的感覚が前面に出たユーモラスなナンバー。
「私はゴム、あなたはのり。あなたが言ったことは全部、跳ね返ってあなたに戻る」というフレーズは、子供じみた挑発のようでいて、大人の社会への鋭い皮肉でもある。
6. As I Am
静かなイントロから始まり、徐々に感情を重ねていくバラード調のロック。
“あるがままの自分でいいのか”という問いは、Joan自身だけでなく、90年代に生きるすべてのマイノリティへのエールにも聞こえる。
このアルバムの“心臓”のような存在。
7. Activity Grrrl
Kathleen Hannaのライターとしての力量がまたも光る、“表面的なフェミニズム”を皮肉るポリティカル・パンク。
“アクティビティ・ガール”という言葉が繰り返される中に、活動することの虚しさと期待のギャップが込められている。
Joanの声がまるで代弁者としての怒りを帯びたナレーションのように響く。
8. Brighter Day
本作の中で最も明るくポジティブなトーンを持つ楽曲。
“いつかもっと明るい日が来る”というストレートな希望が歌われ、アルバム全体の暗いトーンに一筋の光を差し込む役割を果たす。
Joanの歌声にも珍しく温かみがあり、感情の揺らぎがリアル。
9. Here to Stay
「私はずっとここにいる」──Joan Jettのキャリアそのものを語るような宣言ソング。
パンクというよりはオルタナティブ・ロック的な引き算の美学が活かされており、90年代的プロダクションも洗練されている。
強く、静かで、揺るがない。
10. Hostility
本作で最も攻撃的なパンク・ロック。
ラモーンズ直系のテンポと、Joanの怒声が炸裂する痛快な1曲で、アルバムの重苦しさを破壊する“浄化”のようなトラック。
「敵意」というシンプルなタイトルの通り、隠しようのない感情がそのまま音になっている。
11. World of Denial
ラストを飾るバラード調のロックナンバー。
“否認の世界”と題されたこの曲は、個人と社会、幻想と現実の分断を静かに見つめる。
どこまでも誠実で、どこまでも哀しい。
Joan Jettの“闘いの終わらなさ”を痛感させるエンディングとなっている。
総評
『Pure and Simple』は、Joan Jettにとって最も政治的で、最も内面に踏み込んだロック・アルバムである。
それは決してスローガン的な意味ではなく、**彼女自身の身体と声を通じて語られる、ロックとフェミニズムの交差点としての“生の記録”**として機能している。
90年代初頭のグランジやライオット・ガール運動と共鳴しながらも、彼女は“誰かの真似”ではなく、“自分自身の更新”を選んだ。
その結果として生まれた本作は、Joan Jettが過去の栄光にすがることなく、今を歌うためのロックンロールを純粋に、そして鋭く貫いた作品である。
おすすめアルバム(5枚)
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Bikini Kill – Pussy Whipped (1993)
JoanとコラボしたKathleen Hanna率いるライオット・ガールの金字塔。 -
Babes in Toyland – Fontanelle (1992)
同世代のオルタナ女性バンド。Joanが本作にゲスト参加を依頼したKat Bjellandの代表作。 -
Hole – Live Through This (1994)
女性の怒りと脆さをロックで爆発させたグランジ名盤。Joanの遺伝子を継ぐ作品でもある。 -
L7 – Bricks Are Heavy (1992)
パンク、メタル、フェミニズムが交錯する、Joanのロック精神と共振する一枚。 -
PJ Harvey – Rid of Me (1993)
痛みと性、抑圧と解放のすべてを、ロックとして鳴らした90年代最高の個人芸術作。Joanの姿勢とも深く重なる。
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