発売日: 1973年6月
ジャンル: トラディショナル・ポップ、スタンダード、オーケストラル・ポップ
月明かりの下で歌われる、静かな回帰——“シュミルソン”が見せたもうひとつの顔
『A Little Touch of Schmilsson in the Night』は、Harry Nilssonが1973年にリリースしたオーケストラ・スタンダード・カバーアルバムであり、
ポップ界の異才があえて時代を逆行し、アメリカン・ソングブックの名曲群に挑んだ、異色かつ誠実な企画盤である。
“シュミルソン”の名を冠していながら、ここにあるのはロックでも実験でもない。
1930〜40年代の古典的ラヴソングたちを、フルオーケストラと共に、深く、静かに、情感たっぷりに歌い上げる作品となっている。
編曲はFrank SinatraやNat King Coleとの仕事で知られるGordon Jenkinsが手がけており、アレンジとヴォーカルの呼吸が絶妙なバランスを保っている。
このアルバムの最大の特異点は、Nilssonのキャリアのど真ん中、
『Son of Schmilsson』というやや破滅的なユーモア作の直後に、まるで無防備な愛の歌を真顔で歌ってしまったという“落差”にある。
そこにこそ、Harry Nilssonというアーティストの本質的な自由と誠実さが表れている。
全曲レビュー
1. Lazy Moon
ゆったりとしたテンポで、月夜の静けさと甘さを運んでくるオープニング。
古き良き時代の夢想が、Nilssonの声を通して現代にも息を吹き返す。
2. For Me and My Gal
明るくスウィングするラヴソング。
オーケストラとヴォーカルの掛け合いが楽しげで、懐かしさのなかに演出の妙がある。
3. It Had to Be You
スタンダード中のスタンダード。
Nilssonは決してドラマティックに歌い上げることなく、あくまで“語りかけるような声”で静かに届かせる。
だからこそ、言葉の重みが沁みる。
4. Always
Irving Berlinによる名曲。
誓いのような歌詞を、淡々と、しかし決して軽くない抑制で包み込む。
5. Makin’ Whoopee!
軽快で少し皮肉の効いたトーン。
歌詞のユーモアをしっかりと引き出すNilssonの“間”と“表情”が絶妙。
6. You Made Me Love You
タイトル通り、愛の不意打ちに戸惑う心情を、シンプルな感情で歌い切る名演。
このあたりの“抑えた演技”が、むしろ深い。
7. Lullaby in Ragtime
クラシカルでありながら、どこかジャジーで柔らかい。
子守唄のようであり、人生の余白のようでもある“静かな名場面”。
8. I Wonder Who’s Kissing Her Now
切なさと微笑が共存する、失われた愛へのノスタルジックな視線。
浮かんでは消える想い出のような旋律が胸に残る。
9. What’ll I Do
孤独をまっすぐに歌うバラード。
Harryの声が、最も透明に、そして最も傷ついたように響く瞬間のひとつ。
10. Nevertheless (I’m in Love with You)
悩みながらも愛に落ちる主人公の心理を、丁寧に、優しく描写する名唱。
11. This Is All I Ask
年齢を重ねた者の視点から人生を見つめ直す名曲。
30代のNilssonがこれを選び、心を込めて歌っていることに、彼の成熟した感受性が表れている。
12. As Time Goes By
締めくくりに相応しい、時代を越えて歌い継がれる永遠のラヴソング。
過度に感傷的にならず、あくまで品よく、しかし確かな情感で届けられる。
総評
『A Little Touch of Schmilsson in the Night』は、Harry Nilssonというアーティストの内なる“クラシックな男”としての側面を丁寧に掘り下げた作品である。
彼がどれほど変幻自在のポップ職人であり、ユーモアの達人であっても、
その根底には“歌うことの喜び”と“楽曲に対する絶対的な敬意”が存在していた。
これは決して気まぐれな企画盤ではない。
むしろ、Nilssonにとって最も誠実で、最も裸に近いアルバムかもしれない。
ノスタルジアではなく、“今この声で、この曲を歌う意味”に正面から向き合った作品。
そしてそれは、聴く者にもまた、時間と記憶、そして愛についてそっと考えさせる。
おすすめアルバム
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Frank Sinatra – In the Wee Small Hours
夜と孤独をテーマにしたバラード集。Nilssonの本作の精神的祖先ともいえる。 -
Linda Ronstadt – What’s New
Nelson Riddleとの共演によるスタンダード・アルバム。ポップスターの“回帰”として共通。 -
Rufus Wainwright – Rufus Does Judy at Carnegie Hall
伝統的なナンバーを現代的な感性で再解釈した好例。 -
Elvis Costello – North
ロックから逸脱し、クラシカルで内省的な音世界へ向かった異色作。 -
Harry Nilsson – Knnillssonn
本作から4年後に発表された静謐な名盤。Nilssonの成熟と“声”の再定義が詰まっている。
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