発売日: 1980年9月12日
ジャンル: ニュー・ウェイヴ、ポストパンク、アートポップ
概要
『Black Sea』は、XTCが1980年にリリースした4作目のスタジオ・アルバムであり、前作『Drums and Wires』で確立された“硬質なリズムと知的なポップ性”をさらに研ぎ澄ませ、ポストパンクの領域を越えたスケール感と完成度を誇る作品である。
プロデューサーは引き続きスティーヴ・リリーホワイト、エンジニアはヒュー・パジャム。
同時期のピーター・ゲイブリエルやU2にも通じる“鋭さと深み”のある音像が、全編にわたって展開されている。
“Black Sea(黒海)”というタイトルは、イメージとしての“深淵”や“沈んだ情念”を想起させると同時に、XTCの持つユーモアと皮肉のセンスによって、どこか寓話的な響きを持たされている。
歌詞は社会風刺から個人の感情まで幅広く、パートリッジとモールディングの二人の作家性がさらにバランスよく拮抗し、楽曲ごとの色彩もより多様に。
全体としてはパワーポップ的な強度を持ちながらも、XTCらしい“偏屈さ”と“観察者の視点”が随所ににじみ出ており、80年代ニュー・ウェイヴの中でもとりわけ普遍的な作品として高く評価されている。
全曲レビュー
1. Respectable Street
郊外住宅地の欺瞞と退屈を描いた、XTC流モダン・シティ・ブルース。
明快なギターリフと、毒舌を巧妙に包んだメロディが光る。
“敬虔で立派な人々”という皮肉が効いた名曲。
2. Generals and Majors
軍事主義をポップに風刺した、キャッチーでシニカルなコリン・モールディング作品。
マーチ風のリズムとコミカルなMVでも知られるが、裏にあるのは“政治と無関心”への鋭い批評。
3. Living Through Another Cuba
冷戦時代の緊張感を背景にした、風刺と恐怖が入り混じる異色作。
キューバ危機の再来を予感させるようなリリックと、スカやラテン的要素を織り交ぜたリズムが特徴。
4. Love at First Sight
恋に落ちる瞬間を皮肉な視線で捉えた軽妙なラブソング。
軽快なギターとパーカッションが心地よく、XTCの中でも比較的“聴きやすい”ポップサイドを象徴。
5. Rocket from a Bottle
“ビンから飛び出すロケット”のような衝動性と閉塞感を描く、密室的ロックナンバー。
メロディの中に潜む不穏な空気が、まさに80年代的心理風景を映し出す。
6. No Language in Our Lungs
言葉では伝えきれない感情、コミュニケーションの限界を主題とした名バラード。
パートリッジの詞世界とメロディの繊細さが結晶化した、深い余韻を残す一曲。
7. Towers of London
産業革命時代のロンドンと現代の距離感を描いた、XTC版“歴史絵巻”。
The Who的な重厚なギターサウンドと壮大なスケール感が融合し、アルバム最大のドラマ性を誇る。
8. Paper and Iron (Notes and Coins)
経済至上主義社会への怒りと風刺。
“紙と鉄=紙幣とコイン”というメタファーで、資本主義の空虚さを浮かび上がらせる。
硬質なリズムと怒れるギターが印象的。
9. Burning with Optimism’s Flames
希望と絶望のあいだで揺れる心情を、ポップでカラフルなサウンドに落とし込んだ秀作。
ポジティヴなフレーズに潜む皮肉が、XTCらしいダブルミーニングを生む。
10. Sgt. Rock (Is Going to Help Me)
“サージェント・ロック”という架空の戦士に恋愛指南を求めるという奇妙な発想の曲。
コミック的ユーモアと現実逃避の心理が絶妙に絡み合う。
アルバム中でも特に軽妙で風変わりなポップソング。
11. Travels in Nihilon
“虚無の国を旅する”という最終曲にふさわしいコンセプトトラック。
重苦しいビートと歪んだギター、呪文のようなヴォーカルが、現代社会の終末感と虚無感を象徴。
パートリッジの“表現の極北”ともいえる異形のトラック。
総評
『Black Sea』は、XTCが持つ二面性――“ポップへの愛”と“社会への不信”――を、最も高い次元で統合したアルバムである。
前作でのリズムと構造の洗練を踏襲しながら、歌詞世界では個人的な感情と社会的テーマが絶妙にバランスを取り合い、楽曲の密度と幅広さも格段に向上している。
それぞれの曲は単体でも成立する完成度を持ちながら、アルバム全体としては“現代人の不安と希望”を縫い合わせるような構成となっており、リスナーにとっては一種の“思想的な旅路”ともなる。
政治・歴史・経済・愛・孤独――それらすべてをポップ・ソングに詰め込んだ『Black Sea』は、1980年という時代の空気と共振しながら、今なお鋭く響き続けている。
おすすめアルバム(5枚)
- The Jam – Sound Affects (1980)
ポップと社会批評の理想的融合。『Respectable Street』と通じる視点。 - Elvis Costello – Trust (1981)
鋭い皮肉と多様な音楽性。『Sgt. Rock』のような風刺的ポップ感と親和性あり。 - Peter Gabriel – Peter Gabriel (Melt) (1980)
ヒュー・パジャムの音作り、ポストパンク的陰影、精神性が『Travels in Nihilon』と共鳴。 - Talking Heads – Remain in Light (1980)
リズムの実験と社会的リリックの融合。『Living Through Another Cuba』の進化形的作品。 - Split Enz – True Colours (1980)
ニュー・ウェイヴのキャッチーさと変態性を併せ持つ。『Love at First Sight』的なポップセンスとリンク。
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