イントロダクション
1980年代の英国――ニューウェーブが爛熟し、シンセが支配し始めた時代の隅で、It’s Immaterialは静かに、しかし鮮やかにその存在を刻んだ。
一見すると地味なその音楽は、騒がしさとは対極にある語り口で、都市生活の小さな情景や人生の皮肉を描いていく。
彼らの音楽は、まるでラジオドラマのようであり、英国北部の曇り空の下で交わされる誰かの独白のようでもある。
それは、“派手さ”とは無縁の、深く静かな感情のポップだった。
バンドの背景と歴史
It’s Immaterialは、1980年にリヴァプールで結成された。
メンバーは、ジョン・キャンベルとジャーヴィス・ホワイトヘッドのコア・デュオ。
もともとはよりパンキッシュなアプローチを持っていたが、活動を重ねるうちに次第にミニマルで内省的な音楽へと変化していく。
彼らが広く知られるきっかけとなったのは、1986年のシングル「Driving Away from Home」。
この曲はUKチャートでTop20入りを果たし、バンドにとって唯一のヒットとなったが、それ以上に音楽ファンに与えた印象は深く長いものだった。
デビュー・アルバム『Life’s Hard and Then You Die』は、シンセ、語り、サンプリング、ミニマルなバンド・アンサンブルを駆使し、英国ポップの知的な一面を体現した名作である。
音楽スタイルと影響
It’s Immaterialのサウンドは、ジャンルとして括りにくい。
ニューウェーブ的なシンセやリズム・ボックスの使用もあれば、アメリカン・フォークやトラッドの香りも漂い、そこにトーキング・ヴォーカルの語り口が加わる。
彼らの音楽は、ポップでありながら“ストーリーテリング”に重点が置かれている。
歌詞は散文詩のように、街の景色、人間関係のほころび、孤独や記憶の断片を、淡々と、しかし豊かな観察眼で描写していく。
その静謐で演劇的な語り口は、まるでアラン・ベネットの独白劇をポップソングにしたかのようだ。
代表曲の解説
Driving Away from Home (Jim’s Tune)
バンド最大の代表曲であり、彼らの“音の世界”をもっとも端的に表すナンバー。
ノスタルジックなメロディと淡々とした語り口で、“ジム”という人物とともに車で街を抜け出すロード・ムービー的情景が描かれる。
リズムは淡々としているが、その中にある“出発”と“喪失”の感情が、聴く者に強く訴えかけてくる。
タイトルの“Driving Away from Home”は、そのまま人生の比喩のようでもある。
Ed’s Funky Diner
軽快なファンク調のグルーヴと、カラフルなサンプリング、そして皮肉なユーモアに満ちた一曲。
あるダイナーでの出来事を淡々と描くスタイルは、日常の断片を切り取って芸術に昇華させるIt’s Immaterialの真骨頂。
どこかThe Kinksのレイ・デイヴィス的な語り口を思わせるが、それ以上に映像的でクールな仕上がりとなっている。
Space
幽玄なシンセの広がりとミニマルな構成が特徴の楽曲。
言葉は少なく、曲の構造自体が“空間”として聴こえてくるような不思議な感覚を与える。
都市の“隙間”や“静けさ”をそのまま音にしたかのような一曲である。
アルバムごとの進化
『Life’s Hard and Then You Die』（1986）
デビュー作にして金字塔。
「Driving Away from Home」「Ed’s Funky Diner」などの代表曲を収録し、知的で実験的なポップスとして当時の音楽メディアでも高い評価を受けた。
表面的には軽やかでポップだが、その奥には社会や日常への批評精神が潜んでいる。
『Song』（未発表・1990録音、2016年正式リリース）
長らく“幻のセカンド”と呼ばれていた作品。
2016年にようやくリリースされ、ファンと批評家から歓喜の声が上がった。
より音響的に洗練され、静かなアンビエンスと抒情が支配する世界観。
前作よりも抽象度が増し、まるで詩集のように密やかに、深く沈み込んでいくような作品である。
影響を受けたアーティストと音楽
Bob Dylan、Leonard Cohen、John Caleといった“言葉と音楽の中間”に立つアーティストたちの影響が強い。
また、The Kinksのような英国的叙情性や、Talking Heads的なストリート感、Brian Enoのアンビエント的感覚も感じさせる。
影響を与えたアーティストと音楽
彼らのスタイルは派手な引用元になりにくいが、The Magnetic Fields、King Creosote、Arab Strapといった“語りと旋律のあいだ”を漂うアーティストたちにとっては、大きな先例となっている。
また、Belle and SebastianやThe Divine Comedyのように“物語るポップ”を志すバンドたちにも、その静かな影響は確実に存在する。
オリジナル要素
It’s Immaterialの本質は、“音楽の最小限化”にある。
過剰に語らず、過剰に飾らず、それでも物語が立ち上がってくる。
彼らの楽曲は、都市の片隅に生きる人々の小さな声を丁寧にすくい取り、それをやさしく響かせてくれる。
また、声を張り上げずとも、人の心に残る歌がある――その事実を証明したバンドでもある。
まとめ
It’s Immaterialは、静かに語り、深く残る音楽を作り続けた。
その音楽は、騒がしい時代においてこそ、より一層の輝きを放つ。
都市の喧騒の中で、ふと立ち止まったとき。
彼らの音楽は、あなたのそばに寄り添い、そっと語りかけてくれるだろう。
「人生は難しくて――それから、終わるんだよ」と。
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