アルバムレビュー：Cheap Thrills by ジャニス・ジョプリン（Janis Joplin）

発売日: 1968年8月12日
ジャンル: サイケデリック・ロック、ブルース・ロック

概要

『Cheap Thrills』は、ジャニス・ジョプリン率いるビッグ・ブラザー＆ザ・ホールディング・カンパニーによる2作目のアルバムであり、
同時に彼女のキャリアを決定づけた伝説的な作品である。

タイトルの“Cheap Thrills（安っぽいスリル）”という皮肉な表現は、
1960年代後半のサイケデリック文化や、商業主義に飲み込まれるロック界への風刺を含んでいる。
しかし皮肉にもこのアルバムは、チャート1位を獲得し、
当時のカウンターカルチャーの象徴的作品として大成功を収めた。

プロデュースはジョン・サイモン。
アルバム全体が“ライブ録音風”に構成されているが、
実際はスタジオで録音されたトラックに歓声をオーバーダブしたものである。
それでも演奏の熱量と即興性は圧倒的で、魂がそのまま燃え上がるようなロックの臨場感を体現している。

この作品をもって、ジャニス・ジョプリンは単なるシンガーではなく、
“女性がブルースを支配する時代”の幕を開けた。

イントロからギターとベースが絡み合い、混沌と興奮が爆発する。
ヴォーカルの絶叫とコーラスの掛け合いがまさにサイケデリックな祝祭。
リーダーのサム・アンドリューがヴォーカルを務め、
共同体としてのビッグ・ブラザーのダイナミズムを感じさせる。

ジャニスのブルース・ソウルが全開。
“男が必要なの”という直情的なタイトルながら、歌詞の裏には孤独と欲望の自己認識が滲む。
シャウトの中にある繊細さが彼女の真骨頂。
ギターの泣きも素晴らしく、感情の頂点で音と声が融合する。

ガーシュウィン作のスタンダードを、
ブルースとロックの中間地点で再構築した決定的名演。
ジャニスの歌唱は、静と動、抑制と爆発を往復する。
まるで1曲の中に人生の喜怒哀楽を凝縮したような深みがある。
サイケデリック・ブルースの金字塔。

本作最大のヒット曲にして、ロック史を代表する女性ヴォーカル・アンセム。
「心のかけらをあげるから、もう少し私を壊して」という一節が胸を締めつける。
ジャニスはこの曲で“強さと脆さの両立”を体現した。
バンドの勢いと彼女の咆哮が完全にひとつになった瞬間、
ロックは新たな言語を得たのだ。

スローな12小節ブルース。
ピアノとヴォーカルのみの構成で、ジャニスの原点的なブルース魂が剥き出しになる。
笑い声とため息がそのまま録音されており、
“演じていない”リアルな瞬間が封じ込められている。

ギターのリフが印象的な中盤の佳曲。
サム・アンドリューとの共作で、カリフォルニアの空気と自由を感じる開放的サウンド。
ジャニスのシャウトが風を切るように響き、アルバム全体に光を差す。

ビッグ・ママ・ソーントンのカバーであり、アルバムの頂点。
モントレー・ポップ・フェスティバルでの伝説的な演奏もこの曲だった。
“鎖につながれたような愛”というテーマを、
ジャニスは魂のすべてを絞り出すように歌い上げる。
息づかい、涙、震え――すべてが生きたブルースそのものだ。

『Cheap Thrills』は、1960年代のロック・シーンにおける感情表現の革命である。

それまで女性シンガーは“清楚か妖艶か”という二項対立で語られていた。
しかしジャニス・ジョプリンはそのどちらでもなかった。
彼女は**「痛みを持った人間」そのもの**としてマイクの前に立った。

このアルバムのサウンドは荒削りで、録音も決して整っていない。
だが、それがリアリズムとしての真実を伝えている。
ブルース、ロック、ソウル、ジャム――それらの境界を溶かし、
感情のままに叫ぶジャニスの声が、この作品を永遠のものにしている。

アートワークは地下コミック界の巨匠R. Crumbによるもので、
サイケデリック・カルチャーと女性の解放を象徴するビジュアルとして語り継がれている。

『Cheap Thrills』は単なる音楽作品ではない。
それは自由と痛み、欲望と解放の記録であり、
今なおロック史の“魂の叫び”として聴く者の心を揺さぶり続けている。

制作中、バンドはCBSのスタジオにこもりながら、ライブのようにジャムを繰り返した。
ジャニスは「歌は録るものじゃない、燃えるものだ」と語り、
何度も一発録りに挑んだという。

アルバムが完成すると、R. Crumbのイラストがジャケットに採用され、
その“アンダーグラウンド感”が大きな話題となった。

商業的成功と同時に、ジャニスはバンド内の方向性の違いに苦悩し、
翌年にはソロ活動へと転身。
『Cheap Thrills』は、彼女がバンドとともに記録した最初で最後の完全燃焼として残った。