1. 歌詞の概要
「Don’t Know Why」は、ノラ・ジョーンズのデビュー・アルバム『Come Away with Me』に収録された楽曲であり、彼女の名を世界に知らしめた代表作である。
その語り口はきわめて静かでありながら、内に抱える感情はとても複雑で、どこか哀しみを帯びている。
タイトルが示すように、この曲では“なぜかわからない”という感情が繰り返し歌われる。それは後悔かもしれないし、未練かもしれない。あるいは、愛を前にして自分の感情が整理できずにいる人間の、率直な混乱とも取れる。
この「理由のない想い」という主題は、恋愛の本質を突いているように思える。すべてに理由を求めたくなる現代において、ただ感情が先行し、それに名前が追いつかないという状態は、誰しもが一度は経験するものではないだろうか。
2. 歌詞のバックグラウンド
この楽曲は、実はノラ・ジョーンズのオリジナルではなく、ギタリストでソングライターのジェシー・ハリスによって書かれたものである。しかしノラの声とピアノが加わることで、この楽曲はまったく新しい命を与えられた。
2002年にリリースされたこの曲は、同年のグラミー賞において「最優秀楽曲賞」「最優秀レコード賞」「最優秀女性ポップ・ヴォーカル・パフォーマンス賞」など主要部門を総なめにし、世界中で絶賛された。
アリフ・マーディンのプロデュースによるサウンドは、過剰な装飾を廃し、ノラのヴォーカルとピアノ、そしてジェシー・ハリスのギターと控えめなドラムのみによって構成されている。この“静寂を尊ぶアレンジ”こそが、彼女の音楽の本質を際立たせる要素となっているのだ。
3. 歌詞の抜粋と和訳
引用元:Genius Lyrics – Norah Jones “Don’t Know Why”
I waited ‘til I saw the sun
私は太陽が見えるまで待っていたのI don’t know why I didn’t come
でも、なぜか行かなかった 理由はわからないI left you by the house of fun
あなたを、あの楽しそうな家のそばに残してI don’t know why I didn’t come
なぜ私は行かなかったのか、わからない
冒頭のこの詩は、恋人と過ごすはずだった時間、行くはずだった場所、交わすはずだった言葉──それらを“選ばなかった”自分を悔やむような響きがある。しかし、なぜそうしなかったのか、明確な理由は語られない。ただ「わからない」のだ。この“理由のなさ”が、逆に感情の奥深さを感じさせる。
4. 歌詞の考察
「Don’t Know Why」は、失われた可能性と選択しなかった未来について歌った、きわめて繊細なラブソングである。「行けばよかった」「言えばよかった」といった後悔の念は誰しも経験するものだが、この曲ではその“なぜしなかったのか”すら自分でも理解できないという、不完全な感情がテーマになっている。
この“感情の不確かさ”は、現代の恋愛においてきわめてリアルである。理屈ではなく、直感や気分で行動してしまうこと、それによって大切な何かを失うこと──そうした痛みは、論理ではなく“声”や“間”でしか伝わらない。そしてノラ・ジョーンズの歌声は、まさにそのために存在しているかのように響く。
歌詞中で繰り返される“I don’t know why I didn’t come”というフレーズは、単なる後悔の反芻ではない。それは自分の心の奥を覗き込むような問いかけであり、感情と向き合う行為そのものである。
そしてもう一つ、この楽曲には“時間”の感覚がある。すでに過ぎ去ってしまった時間、戻らない選択、取り戻せない愛──その“不可逆性”が、曲の中に静かに横たわっている。それがまた、聴き手の心を締めつけるような余韻を残していく。
5. この曲が好きな人におすすめの曲
- The Nearness of You by Norah Jones
静かな夜に寄り添うようなバラードで、ノラのジャズ的な素養が際立つ名曲。 - Trouble by Ray LaMontagne
やはりシンプルな構成の中に、深い感情を湛えたバラード。聴き手を静かに揺さぶる。 - Fool That I Am by Etta James
恋に不器用な主人公が、自分の気持ちを持て余す様子を描いた、切ないソウルナンバー。 - Both Sides Now by Joni Mitchell
愛や人生の曖昧さ、捉えきれなさを詩的に描いた楽曲。ノラの世界観と重なる部分が多い。 - Tennessee Waltz by Sam Cooke
懐かしさと喪失感が滲む名バラード。語り口の優しさの中にある痛みに共感できる。
6. “静けさ”が武器になる瞬間:ノラ・ジョーンズの革新
2002年という時代は、ブリトニー・スピアーズやクリスティーナ・アギレラ、あるいはエミネムやネリーといった派手でエネルギッシュなポップスターがチャートを席巻していた時代である。そんな中で突如として現れた「Don’t Know Why」は、明らかに異色だった。
声を張り上げるわけでも、激しい展開があるわけでもない。ただ淡々と、ピアノとギターとともに“わからない”と繰り返すその楽曲が、なぜこれほどまでに心を打つのか──それは、ノラ・ジョーンズが「静けさ」を武器に変えたからである。
「Don’t Know Why」は、音楽の本質が“伝えること”ではなく、“伝わること”にあるのだと教えてくれる。音数を減らすことで、逆に感情が浮き彫りになるという逆説。まるで、白いキャンバスにぽつりと落とされた一滴の色が、見る者の想像を掻き立てるように。
この曲が、20年以上経った今もなお人々の記憶に残り続けているのは、そうした“余白の力”があるからなのかもしれない。そしてその余白には、私たち一人ひとりの“行けなかった日”や、“言えなかった気持ち”が、そっと寄り添っているのだ。
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